「自調自考」を考える 第336号

卯月。旧暦二十四節気では清明、次候鴻雁北へかえる。全てのものが清らかで生き生きとする。
 若葉萌え、花咲き鳥が歌い舞う生命が輝く季節の到来。この時期の日本は、世界でも稀な圧倒的に豊かな自然に恵まれる。
 欧米ではイエス・キリストの復活を祝う日イースターをイースターエッグで祝い、日本では灌仏会で誕生仏に甘茶を注いで祝う。この甘茶で墨を磨り、「千早振る卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いて虫封じをした風習があった。

 うちなびく春来るらし山の際の
 遠き木末の咲き行く見れば
  『万葉集』巻八春雑歌 尾張連

 日本の最古、最大(二十巻四千五百余首)の歌集『万葉集』には、この時期の日本の人達の気持が鮮やかにうたわれている。
 そして今私達は「新しい自調自考生」を迎え、「青年即未来」の出発を祝う。今年こそコロナ禍を乗り越えて、一層充実した学年を目指そう。
 人類史上稀にみる「パンデミック」コロナウイルス感染症が猛威を振るうなか、遺伝物質RNAを利用した新しいタイプの「ワクチン」が奇蹟的な短期間で開発され接種されだした。免疫が作られることによる発症や重症化を予防出来る効果が期待出来る。然し感染そのものを防ぐということではないので、感染対策としてのマスク着用や密を避ける必要は続くものと云われている。そこでウイズコロナとかアフターコロナにおける人間の生き方が世界中で議論され、真剣に考えられている。
 いろいろな「パンデミック」を経験してきた人類の歴史を繙けば、その時期に「文化」が変わっていることがわかる。「ペスト」流行は「ルネッサンス」を興したと云われるように、人間が作り運用している社会が、病気によって変わることになれば、当然社会から学ぶ全てのことを「文化」と云うので、「文化」も変わることになろう。今回の「パンデミック」では、最初に気がつく変化の要因は、「非対面・非接触」文化ということになろうか。
 私達が経験している「教育」の世界であれば、古い表現で「師の謦咳に親しく接する」という言葉がある。教育を受けるという意味で使われるが、実は「謦」も「咳」も「唾をかける」の意で、ウイルス感染を引き起こすことになるので使えない言葉つまり行動になる。
 どう変わるか今の処では、まだ確定したことは云えないが、充分に慎重に考えていかねばならぬことである。また経済も政治も当然変わろうとしている。非対面・非接触型経済ということで一挙にデジタル化が進み、製造産業(モノづくり)からサービス産業、知識集約型産業、そして無形資産を中心とした産業へと構造の転換が議論されている。これにより個別産業には打撃であっても全体としては新産業(脱炭素化とグリーンリカバリー政策)が全体の成長を促すと云われている。
 他方、政治については、コロナ禍下、世界的に対応が比較的上手く出来たということで、自由民主主義国家と強権国家が比較され強権国家の手法を評価するということが云われだしている。この考えには、私は全く与しない。「法の支配」、「民主的政治運営」、「公平公正の実現」は民主主義国家の求める基本原理である。古代ギリシャ語の「民衆の支配」を意味するデモクラシーはデモクラティズムとは微妙に違うものだ。その理想像実現には「自由」は必須のものになる。
 前号でも触れたが学問・研究の進展には「自由」というsentiments(気性)が生み出す「広い視野」「冒険心」「再挑戦」「変わり者」「寛容」といった気質が不可欠である。この問題については充分に慎重でなければならないと考えている。
 自調自考生、どう考える。