3月11日

10年後の3月11日を迎えました。あの日、本校は学年最後の考査最終日で、多くの生徒は羽を伸ばして部活動を再開していました。また、中学3年のニュージーランド研修第1団出発日で多くの中3生が成田空港へ向かう途中でした。
午後2時46分、大きな縦揺れに突然襲われ、その後も長く不気味な揺れが何度も繰り返されました。地盤と平行移動したからか、校舎自体にほとんど被害はありませんでしたが、鉄道が止まり部活動をしていた多くの生徒が学校に取り残されました。また、空港に向かっていた生徒は途中の駅から歩いて学校に身を寄せたり、すでに到着していた生徒は空港で立ち往生することとなりました。
夜が深まるにつれ全貌が少しずつ明らかになる中、保護者に学校へのお迎えをお願いしました。ただ、考えられないほどの長い渋滞が発生し、多くの生徒が学校で宿泊し不安な一夜を過ごしました。

今、学校で震災を思い出させるものは、罹災した校門が同窓会・在校生・教職員からの義援金により復旧されたことを記すプレートしかありませんが、学校全体であの日のことを語り伝えていきたいと思います。