1月28日(土)、GLFCセミナーの一環として、第6回東京大学研究セミナーを開催しました。昨年度、コロナ禍のためこの時期の開催が延期となりましたが、今年は無事に開催できました。5月に開催した昨年度の代替のセミナーは、主に理系の研究者の講演が中心でしたので、今回は東京大学の文系学部を卒業して、社会の第一線で活躍している3名の卒業生を講師お招きして「東大を出てどうする!」というテーマで、東大卒業後にどのような考え方や経験をへて現在に至られたかを、それぞれの世代の視点から語ってもらいました。
当日は生徒、保護者合わせて約200名が田村記念講堂に参集しました。以下セミナーの講演とパネルディスカッションの内容を報告いたします。本セミナーは田村哲夫学園長、田村聡明校長も聴講されました。
◎ 第1部 卒業生によるプレゼンテーション
※ 遠藤 優さん(東京地方裁判所判事補 法学部卒 27期生)
ご紹介をいただきました27期生の遠藤と申します。10年前に本校を卒業して東京大学法学部に進学、ロースクールをへて、現在は東京地方裁判所の判事補(裁判官)をしています。レクチャーを開始する前に皆さんに問いかけをします。「将来の夢はありますか?」。 決めている皆さんに、もしその夢がうまくいかず挫折しても東京大学ではもっと違った自分が見つけられます。将来の夢がまだ見つからない皆さんに、東京大学は皆さんの将来に様々な選択肢を与えてくれます。私がこれまで悩んだこと、苦しんだことの軌跡をお話しします。
◆ 中高時代に考えたこと
この学校には音楽やロボットなど、多才な才能を持った人がたくさんいます。自分はそういうタイプではありません。ワンダーフォーゲル部に所属して、部活と勉強だけの日々でした。皆さんより少し苦労したのは、家が銚子の方で通学に片道1時間半、毎朝5時に起きて通いました。勉強も疲れて余裕がなく、日常の授業の課題をこなすのが精いっぱいでしたが、部活のない定期試験前だけは、集中して頑張りました。元々ぼんやりと法曹界への憧れはありましたが、中学三年の公民の授業で、有名な裁判の判例を学ぶ機会があり、国会でつくられた法を、裁判官は憲法に反する場合に変える力を持っている事と、個々の判例にある社会的背景が、とても興味深く思えて裁判官になることを考えました。
そして、今考えると少し安直でしたが、裁判官を目指すなら東京大学だと思いました。法曹界で活躍しているのは東大卒ばかりではありませんが、日本で一番有名な法学部で学ぼうと思ったからです。でも現役では届かず、一年浪人をして文科一類(文Ⅰ)に入学しました。
◆ 大学・大学院時代
皆さんは東大をどんなところだと考えますか。私は中高生の頃は凄い人ばかりだと思っていました。確かにテレビによく出ているような人のイメージから奇人変人の学校と思われがちですが、実際はほとんど普通の人でばかりです。学生は均質的というか、進学校出身で家庭環境も同じで、これはある意味では安心感であり、つまらなさかもしれません。そして、東大生はとても勉強をさせられます。リベラルアーツ教育として文系でも理系の勉強を、理系でも文系の勉強をします。そして進路振り分け。ここでは1、2年次の教養課程での成績が、特定の科類とは別の学部を希望する場合に重要になります。渋幕の同期は、文科Ⅲ類で入学して、卒業は医学部の健康科学総合学科、さらに他の国立大学の医学部医学科に編入学しました。こういう例は東大の多様性を表しています。
私は予定通り法学部に進学しました。でも法学は実はあまり好きでありませんでした。法学では、民法などの条文の文言の解釈を学ぶことになりますが、それが自分の肌には合わなかったのです。ちょうど皆さんが学んでいる古文の授業での言葉の解釈に似ています。それでも古文にはストーリーがありますが、条文にはそれもありません。私が興味を持ったのは個々の事件の社会背景にありました。法学の中心的領域である法解釈よりも、法学と社会学、医学、工学などの他分野との融合領域に興味を持ちました。こうした周辺的な分野に注力したために、法の解釈には力が入りませんでした。それでも自分の将来を考えて、司法試験の為に法の解釈を学びましたが、大変苦労しました。
東大に入ってよかったことは一流の教授から最先端の理論を学ぶことができることです。そして前述の法学と他の学問との融合について学びを得たこと。例えば、言語学の知識は裁判員裁判の「評議」の中で裁判官のかける言葉が、裁判員にどのような影響を与えるかの勉強になりました。逆に東大に入って損したことは思いつきません。
◆ 卒業後の歩み
まだ自分は東大卒業後の時間が短くあまり多くを語ることが出来ませんが、司法試験合格後の司法修習生の時には、多くの弁護士などの法律家の方に会って話を聞いて、最終的に裁判官になることを決意しました。今は裁判官として刑事裁判を担当しています。
皆さんは裁判官にどんなイメージを皆さんは持ちますか。固い人? 情のない人?裁判官は目の前にいる被告人がどのような人なのか少しでも分かろうとし、どういった刑罰を科すのが適切か考えています。決してただ判例に従って機械的に判決を出しているわけではありません。
最後にもう一つだけお話をします。どうか東大に入る事だけを目標にしないで下さい。東大での学びを将来自分たちがどのように活用するか考えてください。なりたい自分になるために東大を活用してほしい。東大へ入学ではなくて、もっと先を見て、東大だけがすべてでないと思ってください。東大は手段です。
私の話は以上です。ありがとうございました。
※ 福田かおるさん(法務大臣秘書官 法学部卒 19期生)
皆さんこんにちは!今日は皆さんに、5つのテーマでお話したいと考え、楽しみに準備をしてきました。1受験勉強は簡単、2「東大受験」には落とし穴がある、3大学在学中にすべきこと・東京大学だからできること、4おすすめの卒業後の進路、5覚えて帰っていただきたいこと、です。
まずは自己紹介です。高校卒業後、東京大学の文科Ⅰ類(法学部)に入学しました。22歳で国際弁護士になり、28歳で結婚、37歳で三児の母になる・・・と大学入学の頃は思っていましたが、実際は全く違う人生になりました。彼氏に振られるというアクシデントから大学生活が始まり、22歳では国家公務員となり農林水産省に就職、いわゆる官僚になりました。28歳からはアメリカのコロンビア大学の大学院に留学。その間にタイ、インド、マラウイ、バングラデシュで、国連機関や日本企業などでのインターンも経験しました。33歳で結婚し、直ぐに3年間タイに単身赴任しました。当時映画『鬼滅の刃』がタイでも大流行で、私が好きな『煉獄さん』は世界で400億円の興行収入を達成していました。私もタイとの農林水産物・食品の輸出交渉では同じくらいの金額を担当し、煉獄さんのように頑張ろうと思っていました。昨年3月には農林水産省を退職し、国会議員の秘書になり、今は大臣秘書官を務めています。高校時代に考えていたものとはずいぶん違ったキャリアパスになりました。みなさんも、考えてもみなかったことが、これからたくさんあると思います。それでも楽しく、活躍していってもらいたいと、先輩として思っています。
◆ 大学受験には意味があります!
「受験勉強は簡単」と書きましたが、当時はとても辛かったです。私は高1夏から1年間アメリカに留学し、高校2年の夏に帰国しました。英語は出来るようになりましたが、その他の科目は散々で、高3で猛勉強して何とかギリギリ入試に間に合いました。受験勉強は、社会人になってから役に立ちました。受験勉強で得た「知識」というよりも、自分の「芸風」というか「頑張り方の土台」をこの時期につくれたことが、役に立っています。情報を理解するのにどれくらい時間がかかるのか、集中するためにどんな環境が良いのか、何がおもしろいと思えるのかなど、自分がどうしたら頑張れるのかを理解しました。これは、社会に出てからの大きな武器になりました。
社会に出てからは、受験勉強よりも遥かに短時間で結果を出すことを求められます。例えば、コロナ禍での政府の対応もそうです。さらに、受験勉強と異なり、他の人と一緒に取り組まなければならず、問題集もなければ塾もなく、何が正解かもよく分からない難問にたくさん出会います。
例えば、私がタイに駐在していたときに、タイ政府から青果物の食品衛生規制が新たに出されました。残り9か月の間に何もしなければ、日本からの輸出が一部止まってしまい、20億円、将来的には400億円の輸出事業に関わる方々のビジネスに影響がでかねないという状況でした。やらなきゃいけないことが何かをゼロから考え、スケジュールを組むところから始まり、タイ国政府との交渉、日本に戻っての県庁の方々や民間企業の方々との検討を重ねました。最終的には、たくさんの方々と協力し、規制に対応することができ、輸出を続けることができました。青果物の輸出金額は前年比30%のプラスになりました。受験勉強のときに、自分の頑張り方の土台ができていて、働き始めてからも更新し続けていたから、このときも頑張ることができたのだと思っています。
◆ 東大受験の落とし穴 ありがちな失敗
東大受験は落ちても、受かっても、いろいろな問題が起こる可能性があります。落ちて、それがコンプレックスにずっとなってしまっている方に出会ったことがあります。受かっても時間が止まってしまい、東大合格が、人生の頂点で唯一の成功体験になっている50・60代の方にお会いしたこともあります。「東大ブランド」で手に入るものは表面的なものであって、年齢が上がるにつれて「学歴」よりも「社会に提供した価値」が大事になります。
10年前、みなさんは小学1年生くらいでしたか?その頃に予想していなかったようなことが、10年間でたくさんあったのではないかと思います。同様に、10年後、20年後は、まったく予想もしなかったことが起こっているのではないでしょうか。受験の結果に縛られて、そこで時を止めてしまわないでほしいと思います。
◆ 東大在学中にできること 東大生だからできること
東大では1.2年次は教養課程と言って、入学時の文系・理系等の分類に関係なく、いろいろな分野を学ぶことが出来ます。専門学部での学びのメインは3・4年生になります。4年生では院試や就活があるので、実質的には1年くらいで専門分野を知って進路を決めることになります。あっという間に終わってしまう大学時代だからこそ、入学時から「こんな風なことがしたい」という仮説を持っていることが重要です。まずやってみて、修正していくイメージです。
私の場合は、高校留学中の9.11テロを経て社会のルールをつくることを考え、文科Ⅰ類(法学部)を選びました。そして法と社会と人権のゼミに参加しました。色々な分野の方の話を聞いて、拡散・混乱したので、何かテーマを決めてみようと思い、3年生のときに、生活の基盤である「環境」にたどり着きました。環境を産業とセットで考えることで、よりインパクトがでると考え、農業にたどり着きました。「日本のため」という「きれいごと」で価値判断ができるパブリックセクターで働きたいと思い、4年生で農林水産省に入ることを決めました。今、振り返ってみると、みんなの役に立つ「ヒーロー」になりたいという願望がずっとあったように思います。
人生の頂点を大学入学時点にしないためには挑戦を続けることになります。挑戦を続けるということは、迷い続けることになり、失敗もすることになります。迷い、失敗したときに、軸になって支えてくれるのが、「好き」とか「楽しい」という気持ちです。そのために大学では「好きなこと」や「楽しいこと」をたくさん見つけて欲しいです。東京大学は、「これを極めたい」「これが好き」という教員の方や同級生が集まっていたりします。教養課程の贅沢な時間、特に理系の世界レベルの研究室、学外のいろいろな人と会えるチャンスなどもたくさんあります。好きなことに出会いやすい大学です。
私の(キャリアパスの)イメージは、高校時代に頑張り方の土台をつくり、大学で好きなものを見つけ、好きなものをベースに社会に出ていろいろな価値を生み出す。野球で100%の打率でホームランが打てないように、挑戦の全てが成功することはありません。失敗もたくさんあるからこそ、たくさんの「好きなこと」「楽しいこと」があると、1つ失敗しても倒れることがなく、強く生きていけるように思います。
◆ 卒業後の経験から
私は2010年から12年まで、観光庁に出向しました。当時800万人くらいの外国人観光客が日本に来ていましたが、二千万人の目標が掲げられました。正直、夢物語のようだと思っていた部分がありました。実際には2016年に達成され、2018年には三千万人を超えました。背景には、たくさんの方々の努力がありました。日本政府がビザの緩和措置をとったことも要因でした。結果、例えば、タイからの観光客は増え、日本で美味しいものを食べて、帰国してからはタイのスーパーで日本の食品を買ってくれていました。日本の果物は、タイでは高級品です。1パック四百円のイチゴであれば、三千円くらいの感覚で販売されています。それでも買ってくれている方々は「日本で食べておいしかったから」とのことでした。さらに、日本では「タイへ輸出を始めて手元に残るお金が2倍になった」という生産者の方にも出会いました。外国人観光客の呼び込みや受け入れを頑張った人たち、ビザの緩和を頑張った人たちがいて、こんなに色々な部分で、良い影響がでるのだと、ビックリしました。私も、そんな仕事がしたいと思って、動き続けてきました。
◆ 最後に覚えてもらいたいことを3つ
➀ 安心して受験勉強に励んでください。
→ お伝えした通り、社会に出てから役に立つ部分があるので、まずは勉強してください。
②「私の幸せ」が「親の幸せ」
→ 親と衝突したこと、自分の選んだ進路に反対を受けたこともたくさんありました。途中で、「私が幸せであることは、親にとってうれしいこと」であるはず、と気が付いてからは、大分気が楽になりました。「親の幸せ」が「私の幸せ」なのではなく、「私の幸せ」が「親の幸せ」なのです。「親の考える幸せ」以外のものに自分がなっても構わないのです。「うちはそんな親じゃない」、「親にはもう会えない」などという状況の方もいるかもしれません。大切なのは、何かに縛られることなく、自分が幸せになればよい、ということです。
③ 好きなものをたくさん見つけてください。
→ 私はいろいろな国に行った結果、日本が一番素敵な国だという結論に達しました。今は日本の未来に関わる仕事ができていて、とても楽しいです。みなさんも、大学や社会の中で、好きなものをたくさん見つけてほしいと思います。東京大学は、人生の通過点になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。大切なことは、受験で時を止めることなく、好きなものをみなさんがたくさん手に入れることです。
最後に、私の話にワクワクしてくれた部分があったのであれば、どこかで何か一緒にできたらいいなと思っています。ありがとうございました。
※ 瀬良征志さん(日本IBM 事業戦略コンサルティング パートナー 経済学部卒 4期生)
皆さんこんにちは。4期生の瀬良と申します。私は東京大学の文科Ⅱ類に1990年に入学しました。私が高校に入学した年はちょうど中学校が開校、京葉線が開通した年でした。学校から京葉線の駅までは何もない野原でした。高速道路を挟んだ隣の大きなビルは、今私が勤めている日本IBMの幕張事業所ですが、竣工は卒業後の1991年です。
そんな時代ですが、楽しい高校生活を送らせてもらいました。部活動は軽音楽部でバンド三昧の日々。のんびりした時間を過ごしました。東大受験を決意したのは、高校3年の5月でした。担任の先生との面談で、どうせ受験をするなら一番上と決意しました。周囲には東大希望者はおりませんし、何をどう準備してよいかも分かりません。あわてて「無名校からの東大合格大作戦」という本を購入。予備校にも一切行かずに有名参考書を一式揃えて暗中模索で受験の準備を進めました。何とか当時の共通一次は乗り越え、最難関の文科Ⅰ類を受験しましたが、準備が全然間に合わず浪人となりました。ただ、予備校に授業料免除で入学できて、何とか翌年、東京大学文科Ⅱ類に合格しました。合格の報告に来て、当時の田村哲夫校長先生にかつ丼をごちそうになりました。
◆ 東京大学時代(文科Ⅱ類~経済学部)
まず教養課程の駒場でのクラスメートと接して感じたことは、東大生は懐が深く、自立していて大らかで、もちろん賢く、千葉の田舎の高校生には一緒にいて気持ちが良い人が多かったことです。アルバイトではディズニーランドのクラシックカーの運転手をするなど楽しい学生時代を過ごしました。当時の東大文系の就職先は、法曹界、官僚、金融、大手製造業が主なものでした。私はチャレンジ指向の変わり者なので当時はマイナーであったIT・コンサルティングの世界に進みました。先日、駒場時代のクラス会がありましたが、卒業後約30年を経て、それぞれが各界で活躍しています。いろいろな人材がいるのも東大の特徴です。
◆ 私の「Connecting the dots」
ここで私が感銘した、Apple創業者スティーブ・ジョブズの言葉を紹介します。不遇な家庭環境の中で育った彼が、2005年にStanford大学でのスピーチで語った「Connecting the dots」です。これは「今やっていることが将来何の役に立つかはその時点では分からないものだが、それは将来振り返ってみれば必ず繋がってくるものだ。だからこそ今の自分の気持ちに素直に集中すべき」というメッセージです。
私の「Connecting the dots」を簡単に紹介します。東大卒業⇒ システムインテグレーター ⇒ 外資系経営コンサルティングファーム ⇒ プライベートエクイティファンド⇒ 事業会社経営戦略室長 ⇒ 日本IBMコンサルティング事業本部。私の世代で大流行した「ドラゴンクエスト」というゲームのように、経験獲得とスキル向上のために時代的にも新しいチャレンジングな職業に挑戦し続け、成長を重ねてきました。1994年に東京大学を卒業した時は、経営者になりたいと思っていました。公認会計士も考えましたが、これからはITの知識が不可欠と考えてIT関連の会社を選びました。その後、経営を学ぶために戦略コンサルティングファームに転職してビジネススキルを学び、何にでもチャレンジできる基礎を確立しました。次のプライベートエクイティファンドでは、「お金」の世界のリアルを体感しました。そしてコンサルタントであれば誰しも一度は考えるものなのですが、事業会社で企業経営に携わりたいという気持ちを実現するために、事業会社経営戦略室長に就任し様々な経営実務を担当しました。そこでは世の中のリアルを痛感し、改めて「無知の知」を実感しました。その後、様々な縁が重なって日本IBMへ舞台を移しました。これまでのIT×コンサルティング×経営の経験が全て点として見事に繋がって、現在は戦略経営コンサルティングを通じて、大企業の経営課題解決支援に従事しています。これまでの経験がきれいに繋がって、最初から描いたシナリオにも見えますが、過去のその時々には今の自分のこの姿は全く想像できていませんでした。今になって初めて、過去の点達が繋がって見えるのです。
最後に私のこれからの「dots」ですが、このままコンサルティング道を邁進するのか、あるいは起業、教育、就農、ロックンロールなど新たな点を作っていくのか、様々な可能性はありますが、今はまだ分かりません。「Connecting the dots」。だからこそ、今の自分の気持ちに素直に集中していきます。
ありがとうございました。
◎ 第2部 セミナーの講師によるパネルディスカッション
つづいて、本校の井上進路部長をファシリテーターとして、セミナーの講師によるパルディスカッションが開催されました。多様な視点での議題に対してパネラーそれぞれの経験や考え方が示され、大変有意義な時間となりました。
Q1 渋幕での日々は、その後の人生にどのように繋がりましたか?
遠 藤: この学校の皆が知っている「自調自考」。問題に気付いてそれを考える力は大学での論文作成でも必須ですし、裁判官としての仕事の姿勢である、1つ1つの事件について、もし疑問にぶち当たっても丁寧に調べてしっかりと考えることにも繋がりました。
福 田: その後の人生は、全て渋幕の日の延長にあります。仮に渋幕時代がなければ、東大に行かなかったかもしれないし、国家公務員になろうと思わなかったかもしれません。良かったことは、国際的なことや海外へ行くことのハードルが低くなったこと、渋幕がすごく自由でやりたいことをやろうと思えたことです。
瀬 良:楽しく遊んでいた学校生活。自分のことは自分で決めるという考え方。もし誰かから東大に行けと言われたら、天邪鬼の自分は多分行かなかった。この学校の自由な校風が今の自分に繋がっています。
Q2 今日まで、東大を出てよかったこと、あるいは損をしたことがあれば教えてください。
瀬 良: よかったことは楽しい仲間と出会えたこと。人生の要所要所で、「東大を出ている」というサポート材料として最高のものをもらったこと。損したことは思いつきません。
福 田: たくさんの友人と出会えたこと、自分が好きなものに巡り会えたことなど、色々あります。ただ、東大以外では手に入らなかったというわけではないです。損したことは、Identityを東大にされてしまい、そのレッテルから話が始まり、自分自身の本質をなかなか見てもらえないことがあると、同級生が言っていました。
遠 藤:裁判官としての経験から、法律のスペシャリストという人は他大学にもいますが、東大出身者のよいところはジェネラリストであることが挙げられます。法律は目の前の様々なトラブルの解消するものですが、そのためにも裁判官は医学や工学などの多様な知識を大学で身に着けることが役に立ちます。損したこととしては過大評価をされがちということがあります。
Q3 グローバル化やAIの発展など、変化の激しいこれからの社会(VUCAの時代)で生き抜いていくために必要な力は何だと思いますか?
福 田: 「やってみようという力」だと思います。「頭の良い人」は「やらない理由」を考えてしまい、結局やらないことも多いです。やってみようと、新しいことに体を動かせる人は凄い。100点を取ろうと思って100点のホームランを打てるボールをただ待つよりも、30点しか取れないボールをたくさん打った人の方が合計点は多いな、と思うことがあります。動き続けていると、ある日突然花開いて、とてつもない成功を遂げたという方々をたくさん見てきました。予測不能なことが起きると、どうしてよいかわからなくなり、「やらない理由」を無意識に探してしまうかも知れませんが、「これかも」と思ったときにやる力が大事に思います。
遠 藤: 裁判官や弁護士もAIに代わられる例が海外では登場しています。AIがどこまでできるかは定かではありませんが、私は人が人を裁くことに意味があると思いますので、AIでは読み取れないような人間を観察する力、人間を人間として理解する力である共感力が大事だと思います。どう身に着けるかは難しいですが。
瀬 良: 究極に必要な力としては、ビジネスやマネジメントの世界の言葉で「PDCAサイクルを回す」という言葉があります。Pは計画、Dは実行すること、Cはチェック、Aは必要なことを修正すること、そして元のPに戻ります。このサイクルを無限に繰り返すことが大事だと思います。
Q4 社会に出てワクワクした思い出があれば教えてくれますか。
遠 藤: 学生時代の勉強では法律の事例はすべて匿名でAさんとか甲さんばかりでした。今は目の前の人はすべて生身の人間。その生身の人の人生や事件の背景に触れることがワクワク感に繋がっていると思います。
福 田: 例えば、タイ国政府との交渉は胃が痛くなる日々でしたが、交渉に成功して、日本からの果物輸出が続くことになり、「福田さんのおかげで自分たちのビジネスがある」と言ってもらえたり、店頭でイチゴを買ってくれるタイの方の姿を見たり、「すごくおいしい!」と言ってもらえたりして、ワクワクしました。これからの日本は、人口が減少して、経済的な地位も低下すると言われていますが、自分の力で少しでも良くできれば面白いと思っています。
瀬 良:これまではずっとプロジェクト型の課題解決ものを延々とやり続けてきましたので、その都度にワクワク感をもってきました。これからもそうした生き方を続けていくと思います。
Q5 社会におけるリーダーの資質とは何だと思いますか。
遠 藤: 皆さんに是非忘れずにおいて欲しいことは、リーダーとは弱き者の眼差しを忘れないでもらいたいということです。社会の中には声を発しても伝わらない、気が付かれない弱い人がたくさんいます。リーダーは高いところにいて、そういう人々の声が聞こえずに、すべて肯定されていると思いがちです。リーダーはこれでよいかという検証や、多数意見も間違っているのではないかと考えることも大切だと思います。
瀬 良: 難しい質問です。リーダーとは明確なビジョンを持って、責任をとって、自らリスクをとって責任を果たすという資質だと思います。
福 田: 人によっていろいろなリーダー像があると思いますが、絶対に必要なものは高いコミュニケーション能力だと思います。他の人とチームになり、同じ目標に向かって動くためには、意思疎通していく力は必須です。(質問:ゼレンスキー大統領から見たリーダー像はあるか?)私の理想のリーダーは、こんな世界をつくりたいというビジョンを見せられる人です。共感した人々が、個々人の持っている力を発揮して、世界がつくられていくイメージです。大統領にもそういう部分があるのではないかと思います。
Q6 Well-beingの実現のために何が必要だと思いますか。
瀬 良: これも難しい質問ですが、世の中が便利になればなるほどWell-beingになるかと言えばそうではありません。飛行機の上でもチャットはできますが、それでは気の休まる時間がありません。社会全体で、リーダーがWell-beingを認識することから始まるのではないでしょうか。
福 田: 個人レベルとしては、まずは自分がどういう状態のときに、「楽しい」、「幸せ」、「いいね」と思うかを素直に把握することだと思います。そして、その状態に向かって動いていく。褒められる、お金をたくさん貰える、一番のタイトルを取れる等、人から「良い」と思われるか微妙なことだったとしてもいいと思います。
遠 藤: 仕事も勉強も大事ですが、何か没頭できることを見つけて欲しいと思います。これを探すことが大切です。そしてWell-beingは一人では実現できません。どういう環境に身を置くかをよく考えることが大事だと思います。
Q7 10年後の人生の目標があれば教えてください。
遠 藤: 10年後の自分は分かりませんが、裁判官ならば今の合議制の形から、大量の事件を一人で裁く立ち位置になると思います。これを作業だと思うとつまらないし、被告人にも気の毒です。初心を忘れずにやりたいと思います。
福 田: 政治家になれていたら、きっと選挙が何回かあると思うので、毎回しっかり当選できていたらいいなと思います(笑)。そして、何より、考えた政策が良い効果を出していればと思います。
瀬 良: 本当にわかりませんが、先ほどお話しした「Next dots」のどれかになれればと思っています。
Q8 将来のために、今、中高生時代にやっておくことは何でしょうか?
遠 藤: 確かに学校の居心地はいいですが、学校の外で様々な体験をしてください。自分も違った体験をしていたら違った職業に就いたかもしれません。中高生の皆さんに言いたいのは、これは自分の関心や興味とは違うと言って切り捨てないで欲しい、捨ててしまうことが自分の将来を摘むことになります。これから大学や大学院と進むと、切り捨てることが出てきますがそれは先の事です。興味のある事だけするなと言いたいです。
福 田: 二つあると思っています。一つは「やってみようかな」と思ったことをやること。会場の皆さんは、セミナーを聞いてみようと思って行動していて、ある種達成しています。もう一つは目の前の事を一生懸命やること。受験勉強以外でも部活動やデートでもなんでも一生懸命に頑張った経験があると、後の世界が広がり、楽しいことが増えてきます。
瀬 良: まず前提として、知的好奇心を全開にして遊ぶ事です。遊ぶことと勉強することは境界が曖昧で、遊びは勉強であり、勉強も遊びかもしれません。やっておけばいいことは、海外留学でしょうか。短期でも構わないので、言葉の全く通じない中で苦しむことは間違いなくよい経験になります。
こうして今回も3時間にわたる長時間のセミナーとなりました。3名の卒業生の皆さんの情熱溢れたお話と、聴講された約200名の生徒及び保護者の皆様のご協力のおかげで大変充実したセミナーとなりました。本セミナーの実施に向けてご尽力を賜りましたすべての皆様に深く感謝を申し上げます。次回の開催は2024年の1月を予定しております。