GLFCセミナー「ジェンダーについて科学的に考える:経済学の視点」

11月14日(月)独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所(通称アジ研)主任研究員の牧野百恵先生をお招きして、「ジェンダーについて科学的に考える:経済学の視点」というテーマで講演をいただきました。日本貿易振興機構アジア経済研究所は、日本有数の開発途上国に関する社会科学系の研究機関です。
以下講演の内容を紹介します。

◆ イントロダクション 
ジェンダーとは生物学的な性別ではなく、社会的に意味づけされた性別を指します。国連のSDGsの目標5に「ジェンダー平等を実現しよう」があります。本日は、この中にある「児童婚」の問題や「経済」の問題をテーマにお話をいたします。世界経済フォーラムという機関が、教育、健康、経済、政治の4分野の男女格差を測定して「ジェンダー・ギャップ指数」を毎年発表しています。日本は調査対象の146か国のうち116位、東アジア太平洋諸国19国の中で最下位、政治分野は139位、経済分野は121位です。教育と健康の分野では、日本を含む先進国の格差は小さいですが、経済が発展しても、経済や政治分野の格差の解消にはつながりません。他にもジェンダー格差を測る指標のひとつに国連開発計画(UNDP)の「ジェンダー不平等指数」があります。ただこの指標は妊産婦死亡率、20歳未満の出産率といった健康分野に依るところが大きく、先進国の格差を見るにはふさわしくありません。

◆ 経済学の視点
社会の中で、行動や判断を行う場合の基準を社会規範と言います。「女性は外で働くべきではない」という考え方が社会に蔓延していれば社会規範の例です。意外に思われるかもしれませんが、社会規範も、私がこれまで研究をしてきた、インドのダウリー(結婚持参金)や児童婚、男児選好などのトピックも経済学の枠組みで分析ができます。シカゴ大学の教授であったゲイリー・ベッカー(1930-2014、1992年ノーベル経済学賞)は結婚も市場原理で分析しました。
最近の経済学実証研究では社会規範のもたらす影響が明らかになっています。例えばインドの女性の労働参加率が低いのは先述の「女性は外で働くべきではない」という社会規範が背景にあることが実証されました。先進国を見渡すと、この社会規範の強い国では、大卒女性ほど結婚しませんが、弱い国や地域(北欧諸国)では、教育水準の高い女性ほど結婚して子供を産んでいます。つまり女性が社会進出したから少子化につながっているわけではないことを示唆しています。女性の労働参加率を上げることが、少子化対策には有効かもしれません。

◆ ミクロ経済学実証研究
統計学を使って因果関係を厳密に示した研究結果をエビデンス(根拠)といいます。例えば「朝ごはんをしっかり食べると成績が良くなる」というまことしやかな話があります。しっかりと朝ごはんを食べさせる家庭は教育環境が良いことが考えられますし、教育熱心な家庭かもしれません。こういった家庭の子どもは、朝ごはんを食べようが食べまいが成績が良い傾向にあります。したがって、朝ごはんを食べることと成績がいいことは「相関関係」にすぎず、「朝ごはんを食べると成績が良くなる」という因果関係を科学的に証明するエビデンスはありません。その因果関係を厳密に証明することを因果推論といいます。そのための方法にランダム化比較試験(RCT)があります。それは被験者を処置群(新しい情報や措置などの介入を行うグループ)と対照群(何もしないグループ)にランダムに分けて結果を分析して、何か違いがあれば介入の効果だと推論する実験です。因果関係を立証できれば、思い付きではない本当に効果のある政策を実施できます。

◆ ジェンダーと社会規範、思い込みに関する実証研究の例
南アジア・中東諸国では「女性が外で働くべきではない」、「女性が外で働くことは恥」という社会規範が根強くあります。宗教的な背景もあると思いますが、インドはヒンドゥー教ですし、それが要因とばかりは言えません。この考え方は地域の特性ではなくアメリカでも昔はありました。サウジアラビアの一般的なデータでは、女性の労働参加率は15%、本日紹介する研究が扱ったデータでは、既婚女性のうち外で働く率はたった4%です。この国は家父長制で、妻が外で働くことの決定権は男性がもっています。いずれのデータでも、この国の男性の8~9割が、女性が外で働くことに賛成しています。このミスマッチの背景には男性の間違った認識、すなわち自分は賛成だけどまわりの仲間たちは反対だろうから、自分も妻を働かせない、ということがあると考えられます。この間違った認識を社会心理学で多元的無知と呼びますが、この国の男性の4分の3は正しい数値を過小評価しています。多元的無知は、日本の企業における男性の育休取得にも当てはまるでしょう。
サウジアラビアで実施されたRCTを紹介します。500人の既婚男性を30人ずつのグルーブセッションに招待し「女性が外で働くことに賛成かどうか」について、本人がどう思うか、グループの仲間はどう思っていると思うかの質問をします。グループの半数以上は知り合いで、仲間の意見を想像して答えるような設定です。そして処置群に対しては正しい数値(87%は賛成)を教えます。最後に、全員に(Ⅰ)5ドルのアマゾンのギフトカードか、(Ⅱ)実在のオンライン求人情報サービスに妻を登録する、いずれかを選ばせました。その結果、対照群の23%に対して、処置群は32%が(Ⅱ)を選択しました。要するに、正しい情報を受け取った男性の方が、妻を働かせても良いと思うようになったということです。またここで示唆されることは、「社会規範はちょっとした情報の提供で変わりうる」ということです。

◆ ジェンダーに関する思い込み
思い込みの事例としては「男性が家族を養うべき」、「育児は母親がすべき」、「女性は論理的に考えられない」、などがあります。これらは、社会全体の指針となっていれば社会規範であり、個人の信念であれば思い込みでもあります。内閣府男女共同参画局の調査は、これらを無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)と呼んでいます。ところで、この調査では意識していることを聞いており、無意識の思い込みという表現は、実は正しくありません。意識していることを聞くと、本心でないことを答えてしまう、「社会的望ましさのバイアス」がかかる可能性があります。無意識の思い込みを測る手法として、ハーバード大学が公開する潜在連合テスト(IAT)があります。実際にホームページ上でテストを受けられますので試してみるとよいと思います。
最近のOECD諸国では、男子より女子の教育水準が高いという逆転現象が起きています。しかし、男女の所得格差はいまだに存在します。この要因のひとつは、所得水準の高いSTEM分野(科学・技術・工学・数学)を専攻する女性が少ないからとされています。しかし数学の得手不得手は、脳科学的には説明ができないようです。
近年のOECDのデータでは世界的には、女子の数学のスコアの方が高い地域が目立ちます。ところが南欧、とくにイタリアにおける女子の数値が低いのが目立ちます。そのイタリアの中学校で、数学の担任はランダムに決まるという自然実験を利用した、実証研究が行なわれました。その結果、数学の教師の「女子は数学が苦手」という思い込みが強い場合、女子の成績が下がり、高校の進路に良い学校を選ばなくなり、数学に対する自己肯定感も下がることが分かりました。このようにまわりの大人たちの「女子は数学が苦手」という思い込みこそが、将来の男女所得格差を生み出しているのかもしれません。

◆ 私が研究者になるまで
ここからは私自身の話をします。私は東京大学の法学部に入学をしました。中高生の頃の私は、女性でも将来自立したい、そのためには資格を取ることが肝要という思い込みが強く、弁護士資格をとるという程度の理由で法学部を選びました。教養課程でいろいろと学べるうちはよかったのですが、専門課程に入ると、学ぶ目的が曖昧であったために、法律がつまらなくて仕方なくなりました。ずるずると3年生まで行ったのですが、4年生の時に休学して、「自分探し」をしたくて、先輩を頼ってフランスに行って働きました。そして先輩に将来のことを相談すると、「あなたはまだ21歳なのだから何でもできる」と言われました。
日本に戻り、東大を卒業して、今度は国際機関で働くという目標を設定し、アメリカのタフツ大学の大学院に進学しました。在学中に、ラオスの国連食糧農業機関(FAO)でインターンとして働くなかで、貧困に苦しむ人々の姿を体感しました。ラオスでFAOの専門家(スペシャリスト)の人たちと行動を共にするなかで、国際機関の職員(ゼネラリスト)ではなく、こうした貧困問題の研究者(スペシャリスト)になりたいと考えて、アジア経済研究所に入所しました。それからワシントン大学経済学部で博士号を取得しました。

◆ ジェンダーに関する実証研究の契機とその内容
アジア経済研究所では、パキスタンやバングラデシュといった、南アジアに行く機会を得て、そこで、ジェンダー差別的な慣習に関心を持つようになりました。そして、途上国女性のエンパワーメントの実現と、ジェンダー格差解消を目指したいと考えました。
そのための研究テーマとして、ダウリー(結婚持参金)の実証研究をまず選びました。ジャミラ・ヴァルギーズの著書「焼かれる花嫁――インドの結婚」にもあるように、日本でこの慣習を知っている人は、ダウリーは悪習だという印象をもっているようです。またインドで1990年代にみられた産婦人科の広告には、「Pay Rs 500 now, or Rs 500,000 later」とありました。500ルピーは女子だった場合の中絶費用(性選択的中絶)、50万ルピーは将来のダウリーの額を意味します。ダウリーは、法的には禁止されていますが、実効性はありません。南アジア、とりわけパキスタンでフィールド調査をするなかで、このダウリーは本当に悪習なのかと疑問をもつにいたり、このことを実証したいと思い研究を始めました。まず、女性が労働参加するとダウリーの額は低くてすむことを実証しました。また、ダウリーは、女性の家庭内交渉力を高め、花嫁の両親が良かれと思って支払う嫁入り道具代であることも分かりました。さらに、女性に財産の相続権が認められた地域では、ダウリーは女性の家庭内交渉力を向上させる役割を果たさないことが分かりました。要するに、女性の財産権などがきちんと保障されていないなかでのみ、ダウリーは女性を守るすべとなっているということです。これらの一連の研究はダウリーを肯定しているわけではなく、ダウリーを廃止したいのなら、女性の財産権の保障や労働参加の促進が先だろうというメッセージを伝えています。
次に私が取り組んだテーマが「児童婚」です。現在では多くの国で18歳未満の婚姻は禁止されています。日本もこの4月から禁止です。しかし、世界を見渡すと、ニジェールの76%、バングラデシュ51%など、児童婚の率が高い国があります。児童婚を減らすためのプログラムとして、実証のためにRCTを組み入れた、条件付きの現金給付と、エンパワーメントプログラム(性教育・女性の権利の教育など)があります。私は昨年まで、ニューヨークのポピュレーション・カウンシルという研究機関で、後者のプログラムをザンビアとバングラデシュで実施したデータを用いて実証研究を行いました。児童婚撲滅の効果があるプログラムは、地域の状況によって異なることを実証しました。
最後にもう一つ、南アジア女性の労働参加促進に関する研究を紹介します。南アジアの労働参加率は低く、バングラデシュ35%、インド19%、パキスタン21%程度です。その背景には、家父長的な意思決定があると考えられています。パキスタン農村で、若い女性の両親に、新しい就業機会、具体的には輸出向け縫製工場の情報を提供するRCTを実施しました。結果は、新しい就業機会の情報を与えられた親たちは、女性のブルーカラー労働(工場労働など)に対しても許容出来るようになりました。

◆ おわりに
「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という社会規範は、ジェンダー格差を再生産しています。令和4年の男女共同参画白書には「もはや昭和ではない」とあります。令和の今、まさに皆の意識を変える必要があります。「女性が3歳まで子どもの世話をすべき」といった社会規範は、すでにその必要がないことが実証されつつあり、文字通り神話です。経済学実証研究の強みは、本当の問題の解決のための科学的知見を提供できる点だと思っています。本日の私からのお話は以上です。

その後、生徒からの質問が続き、一つ一つの質問に丁寧に回答をいただきました。

牧野先生のお話は、とても興味い内容で、セミナーに参加をした生徒は、とても充実した時間を過ごすことができました。心より感謝を申し上げます。また、本セミナーを提供いただいた、独立行政法人 日本貿易振興機構 アジア経済研究所 様のご厚情にも重ねて感謝を申し上げます。