GLFCセミナー「紛争、国家、民族 -クルド人から考える」 を開催しました

11月25日(月)、今年もジェトロ・アジア経済研究所(IDE-JETRO)より、能勢美紀先生をお招きし表記のテーマでセミナーを開催いただきました。アジア経済研究所は、世界の新興国・開発途上国地域に関する政治、経済、社会問題について研究しています。およそ100人の研究者がいて、蔵書70万冊を超える大きな図書館があります。講師の能勢先生は司書、ライブラリアンとして仕事をしながら同時にクルド人の問題をテーマに研究をされています。以下セミナーの様子を紹介します。

◆ はじめに
クルド人は各国でマイノリティ、少数派としての歴史があります。日本では、基本的には日本語を習った人が書いた文章であれば当たり前に理解できますが、これは実は近代以降の特殊な制度により生じた状況です。近代以降、各国では一つの民族が一つの言語を話す国民国家を作ろうとしました。それは皆が「国語」を勉強して、読み書きできるようになり、皆が理解できることで成り立っています。クルド人は、トルコ・イラン・イラク・シリアに分かれて住んでいて、みんなが共通で理解できるクルド語は今でもあまり発達していないというのが現状です。各国でクルド語を確立しようとする動きがありますが、例えばトルコでは長らくクルド語で出版すること自体が難しいという状況があったため、国の外で出版したものが多くあります。それを収集して所蔵し、クルド人やクルド人の出版物について研究したい人に提供することが私たちアジア経済研究所図書館の仕事の一つです。
ウクライナの紛争が起きて2年、ガザの紛争が起きて1年が経ち、今日紛争が取り上げられることが多くなり、色々な報道がされている中で、紛争の一つであるクルド人を取り巻く状況についてお話ししたいと思います。そこから世界の様々な紛争とその背景に目を向けていければと考えています。

◆ クルド人から考える
クルド問題については、日本だと埼玉の川口市にクルド人がたくさんいて、今ヘイトスピーチや嫌がらせが発生しているということで時々新聞やテレビで話題になるので、ご存知の方もいるかなと思います。メディアでよく言われる言い方でクルド問題を簡単に紹介すると、クルド人とは国家を持たない最大の民族だということです。 クルド人が住んでいる地域は、第一次世界大戦後にトルコ・イラク・イラン・シリアという4つの国に分割されてしまって、一つの国を形成していません。ただ、第一次大戦前も実は1つではなくて、大きく、オスマン朝下のトルコ・シリア・イラクとカージャール朝のイランの支配下にありました。ただ、そのオスマン朝とカージャール朝の国境地帯というのは緩衝地帯になっていて、双方にとって中央からは遠く離れており、完全には支配が及ばなかったため、自治的性格が強かった地域です。二つの王朝に挟まれ、分かれていても、私たちは一つだ、クルド人だという意識は強かったようです。
しかし、クルド人として一体的な意識はあると言っても、私たちの考えるような民族的な統一性はないと言えます。言語的統一性はなく、宗教もイスラム教徒が多いけれどもシーア派やスンニ派、さらに他の宗派・宗教を信じている人もいます。また、長い歴史の中で多くの民族と混血しているため、人種的な単一性も薄いと言えます。 では誰がクルド人なのかというと、自分がクルド語を話して、自分がクルド人であると思っている人がクルド人だとしか言うことしかできません。それはクルドに限った話ではなくて、日本人について、日本に生まれて日本語を喋って日本国籍を持っているから日本人というのと同じレベルで、クルド人も定義できます。ただ、日本人よりもずっと多様な人たちがクルド人という一言の中に包括されているということです。 私は司書だということもあり、特に言語、クルド語と出版の関係に興味を持っているので、今日は言語に焦点を当ててお話ししたいと思います。

クルド人の話す言語には、意思疎通が難しいほどの方言差があります。2大方言はトルコとシリアで主に話されているクルマンジーと、イラク・イランで話されているソーラーニーです。両者は文字も違っています。歴史に由来するものですが、クルマンジーは基本的にはラテン文字(ABC…)を使用し、ソーラーニーはアラビア文字を使用しています。現在、クルドの文化的2大中心地はトルコのディヤルバクル(クルマンジー)とイラクのスレイマニア(ソーラーニー)です。トルコとシリアで使っている文字はラテン文字です。シリアでラテン文字が使われているのはフランスの委任統治領であったことが影響しています。イラク、イランでは古くから国としてもアラビア文字を使っているので、ソーラー二―はアラビア文字を用いてクルド語を書いているという状況です。
各国によってクルド政策は様々ですが、クルド語による表現が最も難しかったのはトルコだと思います。トルコはクルド人の約半分が住んでいて、マイノリティとはいえトルコの人口の20%程度がクルド人であることから影響力も大きくなります。
1923年に成立したトルコ共和国では、近代化のために一民族一国家を推し進める中で、言語政策を重視しました。国家言語としての標準トルコ語の整備と普及をはじめ、公的機関や教育機関でのトルコ語の使用を徹底してきた歴史があります。その流れの中で、クルド語の出版や歌なども制限を受けてきました。
このようなクルド人の置かれた状況に対して立ち上がったクルド系組織として、トルコで最も有名なのは、トルコ政府をはじめ、欧米もテロ組織として認定しているPKK、クルディスタン労働者党です。ただ、トルコでクルド人は、クルディスタン労働者党のように独立を求めて政府と武力で争っているというイメージがありますが、実はトルコ全体を見てみると伝統的に武力闘争だけではなくて、その裏では文化闘争もありました。 文化闘争の代表的なものがクルド語やクルド人の文化・民族に関する出版活動です。


一方、ソーラーニーの中心であるイラクの場合は、79 年にサダム・フセインが政権を取って以降、2003年まで独裁が行われました。フセインはクルド人などの少数民族を抑圧したというイメージが強いと思いますが、イラク出身のクルド人に聞いてみると、確かにフセインは物理的な破壊やクルド人の虐殺は行ったが、文化活動や出版活動に関してはほぼ自由であったと言っています。これは私の考えですが、トルコの場合は中央政府の力が非常に強く、統制がとりやすいという特徴がありますが、一方でイラクは実はそこまで地方への統制が及んではいなかったのではないかと思っています。 このような背景によって、イラクではクルド文化が発展し、書き言葉としての標準ソーラーニーが確立していて、クルドの文学出版や音楽のカセットテープなどが多く世に出て、同じソーラーニーでクルド文学や音楽に対して比較的統制の厳しかったイランに輸出されていたようです。

1979年は、クルド人が多く住んでいるイラン・イラク・トルコではキーになる年です。イラクではサダム・フセイン政権が成立し、イランではイスラム革命が起きていて、トルコでは東部つまりクルド人が多い地域で戒厳令がしかれて弾圧が強化されていきます。 そこで発生した活動家や知識人を中心とする政治難民が主に向かった先が欧州のスウェーデンです。例えば、オマル・シェイフモス(シリア出身・イラクPUK設立メンバー)、ケマル・ブルカイ(トルコ出身・左派活動家・政治家)、マフムート・バクシ(トルコ出身・作家)などが同時期に亡命し、スウェーデンを拠点に活動していました。 スウェーデンというのは、トルコやイランでは難しかったクルド語の出版や音楽表現、政治活動が自由にできる場所だったということです。さらに注目したいのは、現在、スウェーデンでは方言差の大きいトルコとイラクのクルド人同士が、クルド語でコミュニケーションができているということです。スウェーデンにおいては、彼らは互いの言語を互いに学び合っています。クルマンジーとソーラーニーがそれぞれ互いのクルド・アイデンティティを尊重した上で、クルド語を形作る人の一貫性を保つ。私はこうしたあり方が紛争を解決する方法の1つの実例なのではないかと考えます。互いに尊重し合った上で共生できるヒントが、スウェーデンのクルド人の状況にあるのではないかと思います。

私のお話しは以上といたします。ご清聴ありがとうございました。

◇この後、質疑応答の時間を頂き、聴講した生徒よりの質問に、丁寧に回答をいただきました。このセミナーの開催後、シリアでは突然のクーデターによる政権交代があり、クルド人問題にも新たな展開が予測されています。こ多忙の中、本校生徒の為にセミナーの開催を頂いた、能勢美紀先生、及びアジア経済研究所の関係の皆様に心より感謝を申し上げます。