東京工業大学 伊藤亜紗先生の模擬講義

2021年11月9日(火)、本校進路部のGLFCセミナーの一環として「あいまいなことほどおもしろい ―美学への招待―」と題して、東京工業大学科学技術創成研究院 未来の人類研究センター長・リベラルアーツ研究教育院教授・伊藤亜紗先生による模擬講義が実施されました。
まずは、① 東京工業大学と自身の紹介から始まって、②「あいまいさ」と ③ 近著の『手の倫理』(講談社選書メチエ 2020年10月出版)の内容をベースとして、授業が行われました。以下内容の抜粋です。

①  東京工業大学と自己の紹介
東京工業大学は、緑が丘駅前でのんびりしていて緑が多く、国立公園ではないか、と言われるようなキャンパスを持っており、「お理工だけじゃダメなんだ」というパンフレットに言及しながら、好きなことにまっすぐ向かっていく尖った人=変人が育つ大学と紹介されました。大学がそんなに大きくなく、出身の東大に比べると3分の1で、大きい大学だと専門分野ごとに分かれて研究者同士が交流しないが、東工大だと専門を超えて研究者同士が交流しているそうです。
先生は、大学では芸術を教えているそうで、何で理系の大学に人文系の教育が必要なのか、ということで、1995年の地下鉄サリン事件を受け、理工ばかりを学んでいると、知識や技術を正しく使えない人が出てきてしまう、という反省が起こり、一時期衰退していた人文系の教育が、東工大で再び行われるようになった、とお話になりました。
先生は、元々は理系で、昆虫好きだったので、生物学を専攻していたそうです。変態などのある、人類とは全然違う身体や生態を持っている昆虫が不思議で面白かったので、生物学者になりたいと思ったが、1990年代の終わりに大学に入ると、DNAが分かれば、生命の全てがわかる、という考えに支配されていて、幻滅し、文学部に移り、美学を専攻することになったそうです。
哲学は、言語で定義できることを言語で考えるものだが、美学は、感性や身体感覚、芸術を鑑賞したときのすぐには言葉にできない気持ちのような言葉にしにくいものに言葉にせまっていく学問なのだ、とのことです。
大学では芸術を教えているが、現在は、「障害から身体について考える」研究をしているそうです。たとえば、視覚障害者は、視覚のある健常者とは違う嗅覚や聴覚、触覚の使い方をしているそうで、ある視覚障害者は、「マスクをするようになって道に迷いやすくなった」と言っていて、原因は、顔がマスクに覆われたことによって、顔の触覚を使って空気の流れを感じていたのに、マスクをするようになってそれが感じられなくなったためなのだそうです。また、四肢切断の人は、手足がないのに幻肢を感じているなど、健常者の当たり前とは違った感覚を障害者は持っているそうです。

 

 ②  今日のテーマ「あいまいさ」
パワーポイントを使って、あいまいなことを研究する美学という学問について、簡単なお話をされました。先生は、「現実は分かれていない→分けないとわからない→でも分けるととらわれる」ので、「分けられているものの分け方を疑う=あいまいなものに目を向ける」ことが大切なのだ、と強調されました。分けるために人間が最も使っているのが言語であり、私たちは、男性/女性、理系/文系、動物/植物、人間/機械、生/死、七色の虹、五感、「日本人」「高校生」「視力0.01」などと分けて区別しているが、このような区別は自明のものではなく、疑っていくことが大切だとおっしゃいました。

 ③ 『手の倫理』(講談社選書メチエ 2020年10月出版)について
最後に、近著『手の倫理』の内容についてかいつまんだお話がありました。なぜ、「手」に注目したのか、ということで、西洋哲学は歴史的に視覚優位だったので、低次のものと思われていた「触覚」に目を向けた、とお話になりました。
「さわる」=一方的/もの的、で、「ふれる」=相互的/人間的、なのだそうで、「ふれる」では、どの程度ふれていいのか、相手のことを考えて調整する気持ちが働いているそうです。
先生が触覚の問題に興味を持ち始めたのは、視覚障害者の伴走を通じてだそうで、伴走者と視覚障害者が互いに握って走るロープというローテクで単純なものが、ものすごい情報伝達をしていることに驚いたからだそうです。伴走者と視覚障害者とが共鳴していると、ときどき、一人で走っているような感覚になって走路が目に見えるようだ、と視覚障害者は言うそうです。伴走者が緊張していると、その緊張がロープを通じて伝わり、うまく走れなくなるそうです。
先生は、自分もアイマスクをして伴走者に視覚を任せて走ると非常に気持ちよかったことから、人に命を預けるつもりで信頼する快感に気づき、「信頼」ということに関心を持ったそうです。

 続いて先生は、脳性麻痺の熊谷晋一郎医師とダンサーの砂連尾理氏が棒を使ってコミュニケートする話をされ、「このやりとりは、砂連尾さんの材質みたいなものが伝わってくる」という熊谷晋一郎医師の証言が興味深かったとお話になりました。
先生の大学にいたある女子学生が、保護者から携帯のGPSで常に居場所が分かる状態になっていたことを例に挙げ、山岸俊男氏の著書『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)にも言及しながら、「安心」と「信頼」の違いに言及されました。「安心」は社会的不確実性を排除することによって得られるものだが、「信頼」は、たとえ社会的不確実性があったとしても相手に期待することで、「安心」な社会よりも、人々が互いに「信頼」することで、触覚的な人間関係を築くことが大切だとおっしゃいました。
障害者は、自分でやりたいのに、健常者が「善意」で先回りしてやってしまうことが多く、障害者たちからは、「助けてって言っていないのに助ける人が多いから、イライラするんじゃないかな」や「毎日毎日はとバスツアーに乗っている感じが(笑)、盲の世界の憂鬱なところ」といった意見が出ているそうです。
 その後、「第4章 コミュニケーション」の内容へと話題が移り、図を用いながら、「伝達モード」=さわる、と、「生成モード」=ふれる、の違いについてお話になりました。

 続いて、「第6章 不埒な手」の中の、ジェネラティブ・ビューイング(生成的な観戦)の話となり、目に見えない人と一緒にスポーツ観戦するにはどうすればいいか、という研究をしているとお話になりました。言葉で説明しても、視覚障害者たちにはスポーツの面白さが伝わらないので、スポーツを「翻訳」することにしたそうです。
たとえば、柔道をタオルの引っ張り合いに翻訳し、視覚障害者にタオルの真ん中を持ってもらうと、すごく臨場感が伝わり、「試合に巻き込まれているような気がした」という感想が出てくるそうです。スポーツをしている選手は視覚だけでやっているわけではないのに、「観戦」してしまうと、視覚だけになってしまうそうです。また、ラグビーのスクラム1列の選手たちの力のバランス感覚をペーパータオル2本の押し合いに「翻訳」することもやってみたそうです。さらに、フェンシングの剣と剣との駆け引きを、木製アルファベットを引っかけての攻防に「翻訳」したり、野球のピッチャーとバッターのタイミングの駆け引きをサスペンダーと紐を組み合わせたものの攻防に「翻訳」したりしたそうです。
最後に、「第1章 倫理」の内容へと戻り、多様性とは何かについてお話になりました。
社会の中の多様性よりも、ひとりの人の中にある多様性の方が大事であり、現在、日本では、やたらと「多様性」や「ダイバシティー」という言葉を連呼する人が多いが、むしろ「多様性」という言葉が、人を固定的に見る見方につながっていたり、「多様性」が分断を容認する免罪符になっていたりするという、現に多様なために、MITの「Be your whole self」のポスターに言及しながら、「多様性」などという言葉は連呼されずとも調和しているアメリカ社会と比較しての日本の現状の違いが説明されました。
 この後、休息を挟んで質疑応答が行われました。主なものを紹介します。
 

Q 「美学の美の字はどういう意味?」
A 「美学とは感性学」「ギリシア語の翻訳の結果、日本では美学になった」

Q 「人を信頼するのは簡単なことではなく、SNSを使って相手と接触しなくてもコミュニケーショ
ンする時代になったが、その際に何に気をつければ? 信頼するにはどうすれば?」
A 「人間は合理的な判断を超えて、この人は大丈夫と判断している。人に信頼して任せてもらった経
験が、自分が人を信頼して任せる行動へとつながる」

Q 「耳が聞こえない人に、音楽を伝える研究はあるのか?」
A 「映画音楽を波のような線に翻訳して表現する研究がある」「音楽を手の動きで表現した映画もあ
る」「翻訳はクリエイティビティー」

Q 「社会的不確実性という話があったが、生活の中で、相手をこういうタイプだ、と決めつけること
があるが、それによって相手を傷付けてしまったら、先生なら、どうするか? 傷付けないように
するにはどうすればいいのすか?」
A 「決めつけは、カテゴリーに分けて入れ込むこと。先入観。分けることは悪いことではない。人間
は分けなければ分からない。こうなんじゃないか、という仮説で枠を決めつつ、それとは異なる点が出てきたときに修正することが重要。傷付けて終わりにしないことが大事。現代は人間関係を簡単に切る。政治は自分と考え方が違う人と向き合っていくこと。それが大事」

Q 「文転に迷いはなかったのか?」
A 「私は直感で決めた。今は情報が溢れているので難しい。大事なのは、いくらでも修正ができると
いう気持ちで決めること。行った先で間違ったな、と思っても、結構そこから道が開ける。選択す
ることを恐れなくていい」

Q 「今のダイバシティー推進の風潮をどう思うか?」
A 「ダイバシティーを推進しなければならないという同調圧力を感じる。サンフランシスコに行く
と、講演会とかで障害がある人が、座っているのが辛いからという理由で、寝っ転がっていたりす
る。ほどよくカオスでありながら調和した社会であることが居心地がいい。障害者を障害者扱いし
ないような関係がいいのであって、『多様性を尊重しよう』と強調するのは気持ち悪い。アメリカ
では多様性が強調されることはない」

Q 「文理の垣根を越える学問をどう思うか?」
A 「社会のインフラを作っているのは理系。スペインで情報技術が民主主義を支えている実例があ
る。文理の垣根を越えることは重要だが、文理融合の学科に行く必要があるかというとそうではな
い。どちらかの学問を究めることも重要。中途半端になっては駄目」

Q 「多様性を免罪符にして自分の意見を押し通そうとする人が増えている、どうすれば?」
A 「不寛容な人に、不寛容さをなんとかしてといっても難しい。最低限合意できる点、共有できる価
値を探ることが大事。難しいですね。一緒にご飯を食べることで同じ共同体の一員だという気持ち
になる。すみません、答えがまとまりません」(笑)。

 質疑応答の後、全体での講義は一旦終了しました。その後も伊藤先生への個別の質問の列が引きも切らず、最後の質問が終了したのは、開始からなんと2時間半が過ぎていました。ご対応いただいた伊藤先生のご厚情に心より感謝を申し上げます。