メディカルガイダンス2023(医学部セミナー)を開催しました 

2月18日(土)、進路部のGLFCセミナーの一環として「メディカルガイダンス2023」を開催しました。昨年の2月に予定のメディカルセミナー2022は、コロナ禍のために中止を余儀なくされ、今年はそのまま内容をスライドする形で実施をいたしました。セミナーの講師として塚田聡さん(筑波大学医学群医学類6年生 32期生)、大東杏さん(都立駒込病院・腫瘍内科 27期生)・高木邦康さん(国際医療福祉大学・高邦会グルーブ 27期生)の3名の卒業生をお招きしました。セミナーは第一部として、「渋幕から医師を目指し、そして今」というテーマで、お一人約20分ずつの講話をお願いし、第二部ではではいくつかのテーマを設定してパネルディスカッションを実施しました。

◎ 第一部 先輩による講話(要約)
* 塚田 聡さん(筑波大学医学群医学類6年生 32期生)
皆さんこんにちは32期生の塚田聡と申します。渋幕では中学で卓球部、高校でワンダーフォーゲル部に所属していました。2017年に筑波大学医学群医学類に入学、今は6年生です。先日国家試験を受験して結果を待っています。4月からは筑波大学付属病院で医師としての研修を開始する予定です。

◆ 大学受験
家族の影響もあり、小学生の頃からぼんやりとですが医者を目指していました。高校3年の6月まで部活をしていて、引退してから本格的に受験勉強を始めました。8月にオープンキャンパスに行って、筑波大学への進学を決意しました。そして推薦枠がある事を知り、その準備も受験勉強と並行して進めるようにしました。両親は医者ではなく、成績も特別良いわけではなく、模試の結果もC~B判定でした。受験プランとして、後期入試や私大の受験も準備しましたが、何とか他の人より早い12月に推薦枠での合格を決めることができました。利用できる制度は最大限利用することも医学部受験では有効な手段だと思います。また渋幕の定期試験を一つ一つ頑張ることが合格につながると思います。

◆ 医学生としての学び
次に医学部での生活の様子を説明します。大学1年から3年までは教養科目や基礎医学、臨床医学など、主に講義を中心に授業が行われます。2年生の時には解剖実習という特別な授業が行われます。4年生でCBTと呼ばれる、医学生(Student doctor)として患者を処置することが認められる試験に合格をしなければなりません。合格後、6年生の6月まで病院実習が行われます。その後、卒業試験が毎週のように12月まで行われて、国家試験を受験します。そして卒業後は病院で2年間の初期研修が行われ、3年目から専門医となるための後期研修が行われます。次に医学部の特徴ですが、医学生だけの部活があり多くの医学生が加入しています。浪人生も多く留年生も珍しくありません。試験も多く、授業は医者になるためのもので、選択授業はほぼありません。勉強量も多く、どうしても学費や生活費がかかります。しかし医学部だからといって授業ばかりではなく、アルバイトや旅行をする時間もたくさんあります。一人暮らしも楽しいですし、筑波大学はキャンバスも広く多様な学部があり教育体制もしっかりしています。医学部は決して楽な学部ではなく、医師もまた楽な職業ではありません。でも大学の学びがそのまま仕事に繋がり、働き方も研究職や企業勤務など多様性もあります。そして誠実さ・勤勉さが評価される職業だと思います。最後に、ネットに情報が多くある時代なので、医学部を目指す前に、本当に自分は医者になりたいのか、よく調べて考えるようにしてみて下さい。
ありがとうございました。

* 大東 杏さん(都立駒込病院・腫瘍内科 横浜市立大学医学部卒 27期生)
皆さんこんにちは。27期生の大東杏と言います。大阪で生まれ奈良で育ち、小4で父の仕事の都合でシンガポールに行き、中学生時代はドイツで過ごしました。高校時代は友達と毎日楽しく過ごし、社会は日本史、理科は生物・化学を選択したので暗記科目が多く試験直前は苦労しました。両親は海外にいましたので、大学生の姉と二人暮らしをしていました。

◆ 高校卒業からの歩み
小中学時代に祖父母3人が癌で亡くなり、母を自分の中間試験のために引き留めてしまって、祖母の死に目に会えなかったこともあり、この罪悪感から医師を目指すようになりました。大学受験は着前まで迷って、センター試験(当時)終了後、横浜市立大学医学部の地域枠を受験しました。試験当日は体調不良と、数学の問題の読み間違いで散々でしたが、何とか合格できました。
大学では2年生まで管弦楽団に所属しました。それから医学部がとても狭い世界であると感じ、コンビニなどでアルバイトをしたり、海外旅行をしたり、袴を履きたくなって薙刀を習ったりしました。医学部での学生生活は試験→試験→実習→試験の繰り返しの生活でした。
大学卒業後は総合内科医をしっかり勉強できる場所を探して、北海道札幌市にある「手稲渓仁会病院」で初期研修の2年間を過ごしました。そこでは、研修医3名でシェアハウスをしたり、道内を旅行したりとプライベートも楽しく過ごしていました。そして、腫瘍内科医になることを決意して、後期研修の場として都立駒込病院を選択しました。現在は毎日5時に起きて6時には出勤、毎日10人程度の入院患者と、月100件程度の外来化学療法を行っています。

◆ 腫瘍内科医の仕事内容とやりがい
ここからは私の専門の腫瘍内科医の仕事を説明します。癌の治療は「手術」「抗がん剤」「放射線治療」が三本柱ですが、私はその中の「抗がん剤」の専門医として働いています。現在は消化器癌/頭頚部癌/リンパ腫/原発不明癌などを担当しています。来年度に内科専門医を取得する予定で、あと2~3年でがん薬物療法専門医を取得したいと考えています。
少し具体的にある患者さんを例にして腫瘍内科の仕事の内容を紹介したいと思います。この患者さんは8月に、膵臓癌の多発肝転移があり外科から手術はできないということで腫瘍内科に紹介になりました。まずは癌であること/治らない病気であることをどう告知するかを考えました。治療としては抗がん剤が推奨されますが、抗がん剤には副作用もあるため、どの抗がん剤を選ぶかを患者さんの希望や生活に合わせて選択をし、実際に出てきた副作用に対して対応します。この治療(1次治療)では腫瘍縮小が得られなかったので、11月頃に新たな抗がん剤治療(2次治療)を開始しました。その中で全身状態が悪化したため抗がん剤を終了し、1月から在宅療養による緩和ケアを在宅医と連絡しながら開始しました。やがて在宅での生活が困難になり、緊急入院をされて1月末に逝去されました。残念ながら亡くなられましたが、適切なタイミングで家族には時間が限られていることをお話し、その前に息子家族も全員が遠方から集合して、お正月のやり直しをしたりと家族での時間を何とか取ることができました。とても重い話になりましたが現在私がやっているのは実際こういう仕事で、患者さんの最期の1年をどういう風に過ごすのかをその人その人に合わせて一生懸命考えています。腫瘍内科医のやりがいは、病気を治すわけではないけど、患者さんの最期と向き合って、亡くなっても「ありがとう」と言われるところです。
医師になってよかったと思うのは、前述のとおりやりがいがあるところ、社会的に信頼の高い仕事であることや、国家資格でいろいろな働き方があり、日本全国どこでも行けることがあります。逆に大変だと思うのは、責任感の重さや不規則な時間での仕事であること。訴訟リスクもあること、一生勉強しなければいけないことですね。

最後に皆さんに、医師の世界でも渋幕生といえば「すごいね!」と言われます。今の自分に誇りを持ってください。そして仕事がすべてではなく、自分が幸せであることが一番です。私のモットーでもありますが、どうか人生を振り返った時に後悔しない毎日を送ってください。

ありがとうございました。

* 高木邦康さん(国際医療福祉大学・高邦会グループ 東京慈恵会医科大学医学部卒 27期)
皆さんこんにちは。27期生の高木邦康と申します。私は東京慈恵会医科大学の医学部を卒業して、現在は父が理事長をしています国際医療福祉大学・高邦会グループの常務理事として福岡県を中心に働いています。先にこの高邦会グループを紹介しますと、1910年に私の曽祖父が福岡市に眼科医院を開いたことが始まりで、現在は大学、病院、リハビリ施設や老人ホームなど、全国各地に数多くの施設を経営しています。本日は私の高校時代を中心に、大学時代のお話を含めて、医師を目指す皆さんに何らかのアドバイスができればと考えています。

◆ 私の高校~大学時代
私は高校から渋幕に入学をしました。ちょうど多感な時期で、高校生活に意味を見出せずに、学校をやめようと考えた時期もありました。教室の席は一番前(教卓の前)に固定されていました。そんな中、当時の担任の先生から叱咤激励を受けたことで、高校生活を続けることができました。そして高校生活を続けるために、何かに打ち込みたいと考えてバトミントン部に入部しました。バドミントン部では、顧問の先生と夜遅くまで近くの公民館や社会人団体とも練習して、社交性や努力の大切さを学びました。高校2年での中国への修学旅行もよい思い出です。高3になり、バドミントン部を最後までやり切り、それからはちゃんと学校に行くように決意をして学校生活を頑張りました。
卒業後は2年間、予備校生活をしました。予備校生活は大変ではありましたが、いろいろな高校や大学の友人が出来たことは財産になりました。そして東京慈恵会医科大学の医学部に入学しました。大学でもバトミントン部に所属して楽しいキャンパスライフを過ごしました。大学受験は学費や偏差値だけではなく、その学校の教育内容や学風・風土を知って受験するとよいと思います。

◆ 研修医~現在まで
大学卒業後は栃木県の那須塩原市の国際医療福祉大学病院で研修医となりました。ちょうどコロナ禍でもありましたが、コロナ対応も含めて、外来対応や救急対応、発熱外来などを経験し、他にもいろいろな地域の病院やクリニックなどでも研修をすることができました。そして昨年の4月からは福岡で高邦会グループの経営者として働いています。
ここで少し多角的な視点で、今後の医師として働くためのアドバイスをします。それは(国の政策、給料・待遇、働く場所、活躍の仕方など)多様な視点から医師の仕事を考えてみることです。患者さんの中には想像のつかない生活をしている人がいて、その人たちを治療するということが医師の仕事です。そのための柔軟な発想を身に着けるためには、いろいろな経験をして、いろいろな人に会って、いろいろな背景をもつ人がいることを知って下さい。医師は素晴らしい仕事だと思います。人の人生にここまで関われて、よい方向に変えていける職業は他にはありません。最後に、皆さんが世界中で活躍されることを楽しみにしています。
ありがとうございました。

◎ 第二部・パネルディスカッション                             
第二部では3名の皆さんによるパネルディスカッションを実施しました。ディスカッションのテーマは、「大学生活」、「医師として働くうえで大事なこと」、「医療のグローバル化」、「未来の医療」など多岐にわたり、それぞれのテーマに丁寧に回答をいただき、聴講した生徒にとってとてもよい学びとなりました。最後に受験勉強に対するアドバイスをいただいてディスカッションは終了しました。全体で3時間に及ぶセミナーになりましたがとても充実した時間となりました。

コロナ禍にも関わらず、後輩のためにと駆けつけてくれた先輩の皆さんには心より感謝を申し上げます。本セミナーの開催にご尽力賜りましたすべての皆様にも重ねて感謝を申し上げます。