3月23日(土) 「自調自考」を考える 第317号

三月、弥生(やよい)。この時期、学校は三十四期生を送り出し、新入生を迎える。旧暦(太陰太陽暦のこと。アジア地区では現在でも使われている。明治五年、「改暦の詔書」により日本では太陽暦に改められている。)では、春分次候、桜(さくら)始(はじめて)開(ひらく)になる。
古来より日本人は桜を愛(め)で、多くの歌が残されている。

山桜(やまざくら)をしむ心のいくたびか
散る木のもとに行きかへるらん
周防内侍(すおうのないし)

桜といえば、山あいにほんのり咲く、一重で紅を帯びる山桜のことで、吉野山の山桜はつとに有名で、多くの歌が詠まれている。
古くは万葉集巻第八春の雑歌(ざふか)に「桜花の歌」として誦詠された歌がある。

嬢子(をとめ)らが 插頭(かざし)のために遊士(みやびを)が蘰(かづら)のためと敷(し)き坐(ま)せる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに
     作者不詳 一四二九

歌人西行法師は「願はくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ『続古今和歌集』」と詠う。
俳聖松尾芭蕉は、西行に憧れ、「しばらくは花の上なる月夜かな」と詠い、吉野に庵(いおり)を結び再度訪れている。国学の巨人、本居宣長は遺言で弟子達に自分の墓に山桜を植えよと命じ、「志(し)き嶋(しま)のやま登(と)許々路(ごころ)を人登(と)はゞ朝日尓ゝ(にに)ほふ山佐久(やまさく)ら花」(六十一才自画像賛)と詠う。日本の原風景を匂わせる。
吉野大峯、金峰山(きんぷせん)寺等は日本の世界遺産として登録されている。
校内も葉に先立って淡紅色の花が咲く染井吉野から八重桜へと次々と春の装(よそお)いを楽しめる時期となる。
ところで今回卒業式で、私は「歴史の進歩」の話をした。
二十一世紀は先行きの見通し困難な、何が起こるかわからない大変な時代であると云われてきた。
そして時代はトランプ氏の出現、英国のEU離脱(Brexit)、反グローバリズム、ポピュリズムの顕現(けんげん)と混迷の度をいよいよ深めている。この背景にあるのが、「資本主義自由経済」の仕組みの綻(ほころ)びである。人々の共感(Empathy)を大切にして、その前提で各自の思い切った創意工夫の努力を生かす制度が資本主義自由経済の仕組みである。結果、人々は豊かになったが一方で貧困と格差の拡大とその定着が再生産されていってしまうという綻(ほころ)びの問題が生じた。仏の経済学者トマ・ピケティが『二十一世紀の資本』で指摘している「U字曲線」がまさにこれである。
日本の将来・未来の不安を鋭く指摘していた堺屋太一氏(本年二月八日死去)が「日本人はこのままでは五十年後ベトナム、カンボジアに出稼ぎに行かなければならなくなる」と云っていたのは、この綻(ほころ)びが理由となっていたのだろう。
今年の創立記念講演で「バイオベンチャー企業・ユーグレナ」創業者出雲充(みつる)氏講演は重要な示唆を与えてくれている。
つまり今君達が学んでいる科学的思考と方法をしっかりと身につけること。そして、センス・オブ・エージェンシーを意識して、その力を駆使し続けることによってのみ確かな未来につながるのだということである。
科学的思考とその方法とは「仮説を立て実際に検証しその過程を数理的手法で記述すること」である。今日では人工頭脳(AI)の発展により、その力を借りた「実験・理論・計算科学・データ科学」の手法が精度をまして有効であると考えられる。
そしてその方法による行動の原動力となるのは、人間の「真理を発見したときの喜び」でありアドラー(米国の精神医学者)の云う共同体感覚(他者への貢献)の喜びでもあると考えるが。
自調自考生、どう考える。