10月7日(金)「自調自考」を考える 第294号

 九月、長月。白露初候草露白し。この時期学園は「槐祭」を迎えた。一学期のスポーツフェスティバルと対になる学園文化のお祭りとして最大の行事である。今年は「キャンパスに色を」をテーマとし、「アーティスティックな文化祭」を目指すことになった。グローバル社会という激動期、時代はグローバルコンセンサス(global consensus)ではなくグローバルディセンション(global dissension)の様相を呈している。若者達にとっては「グローバル化による人の移動は単一の価値観による歴史の見直し、将来の展望をいよいよ困難にする」ことを感じさせるものになっている。ノマド(牧畜民)化する人類(ジャック・アタリ)の危機感と云って良いだろう。人類史が示す近代では、人類は分権的で多様な社会を創出することでその弱点を有効に働かせ「中産階級の勃興」と「宗教的寛容」という強さを生み出した。結果社会経済的ダイナミズムを生み出すことに成功した歴史であると云える。(Charles A. Kupchan ジョージタウン大教授)
 一方現在は、英国のEU離脱が現実となった現象が示すように、グローバル化による人類の夢と希望(EUにノーベル平和賞授与)の見通しが大変困難になって来ていると云って良いだろう。問題の一つはピケティの『二十一世紀の資本』の示す「U字曲線」つまり格差と貧困の拡大と定着をいかに解消させるかであろう。そして「アーティスティックな文化祭」によって若者達は見通しのつきにくい人類の求める将来像を確認する作業を芸術的活動のなかからも掴み取ろうとしているのではないだろうか。
 大変意味深い「テーマ」。私達は今どこにいて、どこに向かうのか。
 「槐祭」当日は雨であったにもかかわらず、来校者数壱万二千余人と大盛況であった。又本号で発表される夏休み中の生徒諸君の活躍は、予想通り日本を舞台とするだけでなく、世界的な活動の結果が多く示されている。
 そして十月、神無月、秋分。  秋の野に 咲きたる花を 指折り   かき数ふれば 七種の花 山上憶良(万葉集)
 秋の深まりに応じて花開く七種の草花、萩、すすき、葛、なでしこ、おみなえし、藤袴、桔梗。 私達にとっての自然は「対峙」するものとしての「Nature」ではなく自らもその一部となっている自然である。そこで生まれる文化は、「循環する自然」の摂理に従い、八百万の神を森羅万象の内に観じて育まれた智恵をもって形成されている。(循環再生型文明)
 永遠を信じて石で建てられたパルテノン神殿、太陽神ラーを崇めて残されたピラミッドとは違って日本では木造の神宮を二十年のサイクルで生まれ変わらせて(式年遷宮)二千年の歴史を誇る伊勢神宮を残している。
 結果お社だけでなく神々の日用の品々も全て最初の通りの姿で新しく作り残されている。この仕事はそのまま技の伝承に直結する。日本の伝統工芸の世界には代々式年遷宮に関わる家系の人が多くその人達に支えられていると云って良いだろう。「永遠の存続を可能にする智恵の結晶」が滅びとは無縁の「繰り返しの美学」であった。約百三十七億年前宇宙が誕生した瞬間から「時間」の流れは始まった。「時間」の概念は科学の進化とともに変化している。それまで絶対的だと思われていた時の流れが環境によって変わることを明らかにしたのがアインシュタインである。彼の相対性理論によると「速度」や「重力」の変化は時間を変える。日本の繰り返しの美学と共にこの研究は面白い。
 自調自考生、どう考える。