12月20日(木)「自調自考」を考える 第314号

 二学期が終了する。学校は冬期休暇に入る。短期間ではあるが、年(とし)改(あらた)まる大切な期間。有効有益に計画を樹(た)てすごしてほしい。
 季節の気では、小雪、大雪に続く「冬至(とうじ)」となるが、これから一年で一番寒い「寒(かん)」に入る。立春になる寒の明けまで約一ヶ月が寒の内である。 十二月を「しわ((は))す」と表わす用法は『万葉集』にすでに使われている。
 十二月(しはす)には、沫雪(あわゆき)降ると 知らねかも  梅の花咲く 含(ふふ)めらずして 紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ) 巻八―一六四八  含(ふふ)むは「口のなかになにかを入れること」であるが、転じて「蕾(つぼ)んでいること」「花の蕾」を意味する。
 また沫雪(あわゆき)は、現在我々が「牡丹(ぼた)雪(ゆき)」と呼ぶものである。ここで使う「しはす」は「為果(し は)つ」または「歳(とし)極(はつ)」を表わしているのではと云われている。「為果つ」なら農事などの仕事が終わったという意味で、「歳極」なら年の暮れということになる。「師走」という当て字が使われるようになるのは平安末期の『奥義抄』(藤原清輔)からだという。この場合の師は僧侶のことになる。ところで冬至には「柚子湯(ゆずゆ)」。冬至と湯治の語呂合わせからとも云われているが、一年のはじまりの冬至(昼が長くなり出す日)に柚子の香りや薬効で体を清める禊(みそぎ)の意味があったという。
 私達の先祖は「季節」を意識しその有り難さを想った。その「想い」を言葉にして残すことによって、季節の移り変わりを目に映って消えてしまうものとせずに残るものとしようと努力した。それが「歳時記」と云われるもので、私達独自の文化はこの想いが創り出している。
 「歳時記」という言葉は、六世紀中葉に中国で書かれた『荊楚(けいそ)歳時記』という書物にはじめて見える。これは中国南方(モンスーン地帯で四季がある)で一年を通じて行われる季節に応じた祭事や儀式、行事などを記したもので、この書物は、我国にもまもなくもたらされている。丁度日本独自の文化が開き始めた頃のことであった。季節を意識しそのありがたさを言葉に残すことによって日本は独特の文化を創り出した。「歳時記」に関心を持ってほしいものだ。
 ところで「季節」と云えば、ここで時間(秒)の定義が変更されるようである。世界共通の単位のルールは七つの基本単位を決めている。質量(キログラム)、電流(アンペア)、温度(ケルビン)、物質量(モル)、長さ(メートル)、時間(秒)、光度(カンデラ)の七つである。
 先月パリ郊外で開会された「国際度量衡総会」は、十六日、質量、電流、温度、物質量の四定義改定案を承認した。この中で唯一人工物である原器(直径高さ共三十九ミリ、白金イリジウム合金製)で決められていたキログラムは今回の改定で極微の量子の世界を説明し電子の質量にも関係する不変の「プランク定数」による定義に変更することになった。プランク定数の値は昨年迄正確にわかっていなかった。昨年日本チーム(つくば産業技術総合研)がシリコンの球体の原子の数を正確に把握する測定技術の開発に成功し、「定数確定」したことにより定義の変更が可能となった。
 また時間(秒)は、現在は「セシウム原子が放つマイクロ波が九一億九二六三万一七七〇回振動する時間を一秒」と定義しているが、より細かい振動を正確に測れる「光格子時計」(香取秀俊東大教授が開発されたストロンチューム原子利用二〇〇一年)の登場により、一六〇億年で一秒誤差というとてつもなく正確な定義改定が予想されている。
 改定時期は二〇二〇年代と云われている。欧州中心で進んでいた単位の発展に日本も貢献しはじめている。単位の変更は分子や原子のスケール制御のナノテクノロジーの時代には、とても重要な意味をもつ。
 自調自考生、どう考える。