3月1日(金) 「自調自考」を考える 第316号

三月、弥生。二十 四節気では雨水。次第に和らぐ陽光の下、草木が芽吹き出すころ。冬の間に蓄えていた生命の息吹きが外へ現われはじめる季節。まことに卒業式を祝うにふさわしい。雨水のこの時期、雨を木の芽起こしといい、催花雨とも木の芽萌やしとも。万葉集巻八、巻十を開くと、春の雑歌からはじまる。そこには野の草花を見つめ、春の到来をよろこぶ歌が並ぶ。日本人の心の故郷が窺える。
 石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも 万葉集巻八 志貴皇子
  ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも 万葉集巻十 春雑歌  
春の到来。懽がすーと伝わる。渋谷教育学園幕張中学高校も第三十四期生の卒業を祝う時を迎える。「槐」同窓生も壱萬弐千名。意気軒昂の春。
卒業式の想い出は、私の経験では「仰げば尊し」にあるようだ。アメリカの歌が原曲と云われ明治十七年の小学校教科書に登場した一世紀以上経た古風な歌だが、いまだに教訓や感傷性を超えた何かがあるように想え、大人の世界への出発、高校卒業にふさわしいように想える。
大人の世界と云えば、今世紀は「ポピュリズム」の広がりが心配されている。ポピュリズムは人々(People)を意味するラテン語“Populus”が語源とされる。辞書によると「普通の人々の意見や願いを代表しようとする政治のタイプ」とある。現に米国で「権力をワシントンからあなた達国民(People)に戻す」と述べ、「アメリカファースト」と云って大統領に就任したトランプ氏は就任演説(十六分間)で“People”を十回使っている。この意味では民衆の意思を政治に反映する民主主義の趣旨に沿うもので批判のニュアンスはない。しかし歴史はポピュリズムは往々にして情念に訴え、偏狭なナショナリズム(英語では“Chauvinism”狂信的愛国主義と云われるもの。フランス革命の結果生まれたと云われる “Patriotism”愛国心とは厳密に分けられている。)と絡みやすいことを示している。そうなると「大衆迎合主義」と訳され、マイナスのイメージを含むものとなる。  民主主義、民意を受けた政治の実行と云っても、常に大衆迎合にならぬ努力が必要なのである。
人類全体を視野に収め、その平和と安全、豊かな生活を維持発展させる基本的人権の尊重実現に努力を傾注しなければならない。地球上で繁栄し続けてきた私達ホモ・サピエンスは、いよいよ地球全体を視野に入れ、国連が二〇一五年に提案した SDGsを目標にした活動が必要となってきた(『サピエンス全史』『ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ著 参照)。二十一世紀が先行きの見通しのつきにくい時代だと云っても、このことだけは確かなことだろう。そして「歴史」を学ぶことの重要性は一層はっきりしてきた。  しかし「歴史」で殆んど経験してこない現象がこれからの「世界」の人類の問題となる。日本に最初に来る「少子高齢化時代への突入」である。近代国家として活動した「日本」の歴史を二百年という時間で分析してみると、過去百年(一九一六~二〇一六)で人口は大略五千万人から壱億弐千万余人と急増し、今後百年(二〇一七~二一一七)で五千万人へと急減すると予想されている(国立社会保障・人口問題研究所報告二〇一七)。同時に社会環境変化や医療変化によって急激且つ大幅な長寿高齢社会が現出し継続する(日本老年学会報告二〇一七)。この変化こそが、これからの社会が求めるイノベーションの対象となるものだろう。急増する高齢化社会の多様且つ増大するニーズにどう対応するか。  これからの人類社会を担う若者達、自調自考生、どう考える。