3月21日(土) 「自調自考」を考える第326号

三月、弥生、春分。太陽が真東から昇り、真西に沈む日。昼と夜の時間が同じ長さになる時期。
 陽気に誘われ、土の中の虫が動き出すころとして二十四節気で啓蟄と云われる季節から、いよいよ春が始まる。
 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。(清少納言『枕草子』第一段より)
 古来、日本人は春の日のささやかな日々の移ろいに、心動かされてきた。
 日本で咲く花の大部分が咲き乱れる、一年中で最も気持の良い季節となる。

春の苑紅にほふ桃の花下照る
 道に出で立つ小女
わが園の李の花か庭に降る
 はだれのいまだ残りたるかも
  桃李の花を詠める歌二首
万葉集巻十九 大伴宿禰家持
 この時期の日本人の気持ちを表す名歌。
 またオバマ大統領が賞讃した日本人の不屈の精神(Extraordinary Fortitude)はこの自然の中で育った。
 ところで時代は「異文化共生社会」の到来。そして進歩史観とポストモダン=文化の相対化=が混在する時でもある。「未来の現在」を生きる青年達にとって、「夢」の持ちにくい大変難しい時代となっている。異文化共生ということで云えば、文化が持つ強力な影響力は現在人類社会に大きく影を落している。例えば経済に関することであれば、人間は「無意識のうちに自分の属する社会文化を身につけている」「社会規範を自らの行動の指針にすること」「生まれ育った社会の文化が注意の向け方、感じ方、考え方そして価値観に迄影響を及ぼすこと」が報告されている。(世界開発報告2015、世界銀行)
 つまり「文化」は明らかに直接的に経済行動に影響を与えるということなのである。「異文化共生社会」の到来は、経済活動の面だけを考えても、一つの国の内で、特に日本のように海に囲まれて境界が明確になっている国は、その国の経済活動の方向性、性質等が多種多様の混在となることを覚悟しなければならなくなる。
 考えられる情況は「混乱」「混迷」「不透明」と云うことになる虞れが予想されよう。
 そこで考えられる解決の方向として「教育」の分野で扱わねばならない二つの問題を考えてみたい。
 一つは「国」という問題である。評論家・詩人の吉本隆明氏(小説家吉本ばななの父)は、人類にとり有効な共同幻想を共有する限界は「国」であり、これはなかなか乗り越えることが困難であると云う。国単位での活動が現在では最も効率的合理性のあるものになっているのは事実である。「国家」については、我々はギリシャ哲学者ソクラテスが、属している国を問われると常に「世界に」と答えたことを知っている。文化のなかに客観的・普遍的なものを求め
て生まれたギリシャ文化(Authenticity-真正性)は、「世界市民」という考えの源流となっている。
 そしてその背景に「言語」があることに我々はすぐ気付こう。異文化理解の最高の手段は「言語」であり、最も障害となるのが「言語」でもある。「言語」については、形態音素の規則性の発見から「生成文法論」を完成させ地球上に現存する多種多様な言語に共通する普遍文法提唱に至るノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学教授)の活動を知っている。(AI=人工知能と言語翻訳機)
 私達は日本古来の文化を尊重しつつ、異文化共存は乗り越え得るテーマだと考えることが出来よう。
 自調自考生どう考える。