4月8日(月) 「自調自考」を考える 第318号

四月、卯月。清明、全てのものが清らかで生き生きとするころ。
 若葉萌え、花咲き、鳥が歌う、生命が輝く季節の到来。入学式が挙行され、玄鳥至り、鴻雁北へかえる時期。
 目には青葉山郭公はつ鰹
山口素堂
 大陸の東端と西端で温帯の日本と英国を比較すると地形、風土の違いにより、動植物の種類の数は圧倒的に日本が多い。その豊かな植物がこの時期一斉に咲き賑わう。
 そしてこのころ欧米では、イエスキリストの復活を祝う日としてイースターをイースターエッグで大切に祝い、日本では灌仏会として四月八日に浴仏盆の立像に甘茶を注いで釈尊の誕生を祝う。
 日本の最古、最大(二十巻 約四千五百首)の歌集『万葉集』はこの時期の日本人の気持ちを鮮やかにうたう。
 石ばしる垂水の上のさ蕨の
  萌え出づる春になりにけるかも
      巻八─一四一八
志貴皇子懽御歌
 春の苑紅にほふ桃の花
  下照る道に出で立つ少女
      巻一九─四一三九
 わが園の李の花か庭に降る
  はだれのいまだ残りたるかも
      巻十九─四一四〇
大伴家持歌二首
 そして、今私達は「新しい自調自考生」を迎え、「青年即未来」、未来への出発の時である。
 その未来の時、二十一世紀は「九・一一同時多発テロ」が象徴するように何が起こるか予測出来ない見通しのつきにくい時代と云われて久しい。グローバリゼーションが世界の潮流であるなかでそれに反する強い動きも顕著である。トランプ大統領の出現(アメリカ・ファースト)や平和な人類社会の構築に方向性を示したとしてノーベル平和賞を受賞したEU(欧州連合)に対して疑問を呈するBREXITと云われる英国の動向など。現代社会の最先端に起きるこうした矛盾に満ちた多くの行動は何が原因なのだろう。
 目も眩むような発達を遂げたテクノロジー。この力で人間は豊かな社会を五〇〇~六〇〇年かけて作り上げた。近代科学の産物であると云える。近代科学の考え方は「人間は何も知らない」ことを出発点としている。そして新しい知識の獲得を目指して、数学的ツールを用いて新しい力(テクノロジー)の開発をする。そこにはタブー(禁忌)はない。ないから自由に大きく発達出来た。どうやらこれが原因なのではないだろうか。
 例えば、AI(人工知能)とビッグデータと5Gといわれる最新のテクノロジーは自動運転を実現する。そして、その技術は同時に戦争の無人化を可能とする。戦争が抵抗感なく出来てしまうことが起きる心配がある。残念ながら私達は原子爆弾を人類頭上に爆発させてしまってもいる。歴史はそんな残酷な実例を実に数多く残している。「タブー」がないことでテクノロジーは発達した。しかしその為に問題が起きているのではないか。
 この春、私は第二次大戦前、旧制高校生のバイブルと云われていた『近世に於ける「我」の自覚史─新理想主義とその背景』(朝永三十郎著)をひっぱり出して古本の塵を払って目を通した。近代科学の成立発展の背景にあるのが、近世の「我」の自立自覚であると確認し、考えてしまった。結局は人間がしてよいことと、してはいけないことをどう区別し実行するかが問題だ。
 一方、学問は発達すればするほどその専門性が強調され細分化され、更に職業主義がそれを加速してしまう。さし当り大切なのは人間として必要なより豊かな意識(市民性)を持って学習することであろうか。まさに今日巷間よく云われているリベラル・アーツ(教養科目・ギリシャ哲学から伝わる学問群)がいよいよ重要なものとなる。私は今中学高校時代のリベラル・アーツがまことに大切で、求められていると考えている。
 自調自考生、どう考える。