「自調自考」を考える 第337号

新「自調自考生」中学三百壱名、高校七十三名を迎え、渋谷幕張中学・高校の新学年が始まる。
 旧暦では、四季以外に二十四節気、七十二候によってこまやかな季節の移ろいが取り入れられる。季節は夏、初夏そして小満末候麦秋至となる。麦畑が成熟した麦におおわれる。

 巣から飛ぶ燕くろし五月晴 原石鼎

 「改正月令博物筌」(文化五年)に「小満の日を麦生日といふ。晴天なれば麦大いに熟す」とある。

 麦秋や雲よりうへの山畠  梅室

 わが背子が屋戸の石竹花日並べて
  雨は降れども色も変はらず
万葉集巻二十 大原真人今城

 学校では、入学式の後、恒例の学年保護者会が開催され、そしてスポーツフェスティバル、地区別懇談会(今年は卒業生小孝介氏=自治医科大学卒=の講演「今、私に何が出来るのか」の予定)と行事が進行する。
 一年で最も生気に満ちた季節のはずだが、世を覆う重苦しさが去らない。COVID―19というウイルスによるコロナ禍対策の故である。
 そこで、今回は新型コロナウイルス感染症のパンデミックやまたバイデン大統領の登場がきっかけとなって世界中で活発になった気候変動問題によって顕在化してきた現代社会の脆弱さをテーマに「自調自考」してみたい。この状況は人々の心の中に自然の操作と自然離れした生活をよしとする価値観、現代社会生活への疑問という考え方を生み出している。
 更には、人間と自然との関係を踏まえた歴史の考察が必要と考えるようになる。もっともこの歴史は、人間の歴史というより「人類の歴史」ということになろう。最近出版された『人類史マップサピエンス誕生・危機・拡散の全記録』は一読大変考えさせられる。
 生物の多様性と文化の多様性に見られる相互関係、多様性の重要性を知りながら画一化の道を歩む私達に大きな反省が求められているのである。
 2020年秋、ノーベル文学賞がアメリカの詩人ルイーズ・グリックに与えられた。日本では知る人ぞ知る殆ど無名の詩人だった。グリック自身も「なぜ私に。私は白人の抒情詩人にすぎないのに」と驚いたと伝えられている。然し時代が求めたという理由があったと私は考える。
 2016年にノーベル文学賞は「偉大なアメリカの歌の伝統のなかに新しい詩的表現を創出した」ことが理由となってボブ・ディランに贈られた。彼は今年五月で八十歳を迎え、現在でも矍鑠、ネバー・エンディング・ツアーと題してツアー漬けの毎日、いまだ現役であり支持され続ける背景には、アメリカの伝統と歴史が彼の詩と歌に反映されているからだと云われている。グリック受賞の場合も、彼女の詩人としての活動を知ることで評価された理由が全く違い、今求められているということがよくわかる。
 グリックの扱うテーマは詩人としての最初から死と再生であり、己の実存の意味についての問いかけであった。そしてこのテーマは周囲の自然、その他の事象、人々家族関係などに託して繰り返しうたわれている。彼女が自伝的な詩人と評されるのはこの辺りに由来する。代表作「野生のアイリス」では、冒頭「苦しみの終わりに/扉があった」と語り始める。四季折々の花の声とそれを見つめる人間の声と祈りで纏められている。シェイクスピアやネガティブ・ケイパビリティ(容易に答えの出ない事態に耐えうる能力)で有名なキーツの詩を読みふけって育った彼女の詩は、子供時代に抱いた興味や関心が大人になった自分のその後(詩人)を決めていることに彼女自身が驚いている。そしてその詩が時代が求めるものであった。
 若者自調自考生達、子供の「今ここ」の時間を大切にしていこうではないか。