「自調自考」を考える 第338号

 六月、水無月。七月、文月。小満、芒種、夏至と経て、季節は小暑末候鷹乃学習。梅雨が明け、本格的に夏。小暑から立秋=八月初旬=になる迄が、暑中見舞いの時期。
 日本人は季節の移ろいをこまやかに感じとって生活を楽しみ、季節それぞれの風物詩を楽しみ、折々の祭りや行事に願いを込めて、身も心も豊かに生々と生きていた。昨今のコロナ禍による、どうしようもない圧迫感、抑圧された閉塞感を何としても、この古来からの日本人の生き方を参考にして乗り越えたい。
 古来疫病と云った「感染症」は日本人の感情の吐露としての「和歌」などに二つの傾向を残す。人と人との厳しい出会いと別れ、別離の嘆き、もう一つは生きている時間をゆったり花鳥風月を詠み込み楽しむというものである。そしてそこに生まれた文化構造は「無限に神が生まれ続け」、「和がないと組織が機能しない国」「リーダーには能力よりも信用力が大切で、多数決など野蛮極まる」(『教会と千歳飴』上野誠、万葉学者)といったものであった。こうした生き方で、日本人は自分の生活の充実感に満足し、免疫力を昂らせていたのかもしれない。大事なことは新型コロナイウイルスによる次々と出現する厳しい現象に目を奪われ、単なる予防法や治療法にばかり気をとられ、本来の生命活動という大きなコンテキストの中での意味を問うことの大切さを忘れてしまいがちになっていることを反省したい。疫病は数年で終焉することを人類の歴史は示している。人にとって幸福になるということはドーパミンというホルモンの多寡の問題と考えるのでなく、どのように生きるかという人の生き方(例えば実存)の問題として考えることが大事だということと同じであろう。コロナ禍の国際比較で日本の構造的問題もよくわかる。

 池水に影さへ見えて咲きにほふ
  馬酔木の花を袖に扱入れな
万葉集巻二十大伴宿禰家持

 ところで学校は、この時期夏休みに入る。夏の季語に「秋隣」がある。夏の到来は次に秋が来ることを感じさせる。夏休みも周到な事前計画と綿密丁寧な実施を心掛けないとあっと云う間に「秋」になってしまう。国連の「幸福の日」行事にも、幸福になるためには、良い暮らしが必要であるが、「良い暮らしの要素を決めるのはあなた自身である」という表現がある。
 そこで参考として、先人たちの君達への伝言を幾つか紹介する。
 「習慣は第二の自然である」(モンテスキュー)。「努力によって得られる習慣だけが善である」(カント)。そして「若いうちは何かになりたいという夢を持つのもいい。しかしもっと大切なのは、いかに生きるかである。日々の行いを選び積み重ねることが、人生の行方を定める」(串田孫一、詩人哲学者、山の随筆が有名)。
 記紀と云われる『古事記』=日本最古の歴史神話書、七一二年成立=の研究書『古事記伝』(四十四巻)の完成後、本居宣長は、当時の国学者の第一人者として全国の弟子達からの要望に応えて『宇比山踏』(岩波文庫)を書き著す。初学者への学問の手引書である。この本に宣長は学問をすることを山登りに譬えて、有名な荀子(孟筍と併称される、孟子につぐ大儒)の言葉を紹介する。「功在不舎」。学問で成果を挙げるには山登りと同じで一歩一歩着実に厭きずに続けることであると。また現代の学問、行動経済学の知見による「ナッジ(nudge)」によると、「長寿」には「勤勉性」が重要で子供の頃から慎重で勤勉である人が長寿であるという。
 自調自考生よ、健康な生活習慣を身につけ勤勉なライフスタイルが身に付く夏休みにしてほしい。