「自調自考」を考える 第347号

七月、文月。岩倉使節団欧米派遣、廃藩置県(一八七一年)、そして学制頒布、鉄道開通の年、「改暦の詔書」(一八七二年)が出され日本は太陽暦となる。それ迄は、季節の移ろいを細やかに取り入れた二十四節気、七十二候という旧暦(太陰太陽暦)に親しんで来た。旧暦では、大暑初候、桐始結花の季節。土用入りのころ学校は夏休みに入る。初夏、桐は淡い紫の花を梢に沢山咲かせる。北原白秋は処女歌集を『桐の花』と名付け、「私は何時も桐の花が咲くと冷たい吹笛の哀音を思ひ出す」とある。令和四年、一学期終了。 地区別保護者懇談会(前期報告書をご覧ください)、授業公開研究週間、スポーツ・フェスティバル、メモリアルコンサート(ピアノ演奏二年I組上野山珠緒さん)、そして中一野田研修、中二鎌倉研修、高一歌舞伎教室、高二オペラ鑑賞等々、一学期中の重要な学校行事が終了。コロナ禍以前の学校行事の状況に戻りつつある。

咲く花は移ろふ時ありあしひきの   山菅の根し長くはありけり  時の花いやめづらしもかくしこそ   見し明めめ秋立つごとに

『万葉集』巻二十 大伴宿禰家持

大暑より始まる夏休みは、旧暦では立秋、処暑と続き秋の新学期を迎える。親しみ易く、変化に富む四季に恵まれて熟成された私達の「日本文化」は、今回のCOVID-19感染症のような疫病に襲われると、極端に違う二つの反応を示すといわれている。一つは人と人との厳しい出会いと別れ、別離の嘆きを悲しむ、そしてもう一つは生きている時間をゆったり花鳥風月を愛し、それを楽しむ。こうして、私達日本人は生きていることに充実感を覚え、免疫力を昂らせて生きてきたのだろう。しかし、歴史が示すように、大切なことは、疫病は必ず数年で収まること。そして疫病に必要以上に気を使いすぎず、しっかりと生命活動としての社会生活=人と人との繋がり=を充実させることに充分に注力することの大切さを確認したい。

これから始まる夏休みの期間もこの考え方で活動したい。夏休み、毎日約十五時間余。約六週間、総計六百三十時間。これをどう過ごすかによって、その後に大きな影響を及ぼすものであることは例年の実態で証明されている。 充分に「計画」を立て、それを実行する。そこで大切なのは、私の大好きな言葉である「習慣」である。習慣は第二の自然である」(モンテーニュ)。「努力によって得られる習慣だけが善である」(カント)。そして「若いうちは何かになりたいという夢を持つのもいい。しかし、もっと大切なのは、いかに生きるかである。日々の行いを選び積み重ねることが、人生の行方を定める」(串田孫一 詩人、哲学者、山の随筆で有名)。自調自考生よ、夏休み、良い習慣を身につけよう。良い夏休みとなるかどうかを決めるのは君自身なのだ。

ところで「神の方程式」といえば、神の存在を特に考えていない私共にとって何か作り事の話のように思ってしまうが、現代の科学者達の活動を見ていると、その存在を信じて活動しているようだ。 『神の方程式「万物の理論」を求めて』(ミチオ・カク NY市立大教授 著)を読むと著者の専門である「超ひも理論」はその有力な候補であるようだ。宇宙の始まりから終りまで、巨大ブラックホールからこれ以上分割できないところまで細かくしていくと現れる素粒子までを教えてくれるという理論に基づく方程式を「美しい神の方程式」と呼び、この方程式を追い求めるのは、人類が抱える問いの一つに答えをもたらす可能性があるからだという。その問いは「なぜこの宇宙はあるのか」という問いである。百三十八億年前にあったという「ビッグバン」以降の「宇宙の総体について説明出来る方程式」は近年の重力波の観測や日常にはとても現れない強い重力の観測(例えばブラックホールの撮影など)の進展は、新しい理論への重要な示唆となることが期待されているようだ。

自調自考生、どう考える。夏休みのワクワクドキドキするテーマとなるかな。