「自調自考」を考える 第348号

 夏休みを終え、学校は二学期に入っている。九月、長月、白露草露白の暦、「槐祭」が終了し、校内の熱気と集中が収まり、一転静かな学校生活に戻った。
 今年の「槐祭」のテーマは「槐の下の力持ち」。
 コロナ禍にあるものの、三年ぶりに校外のお客様を迎えての公開実施である。過去公開日二日間で一万五千余人の来校者数であったが、本年は、事前予約の制限下で実施ということで、半数の八千弱人の来校者となった。過密すぎず、大変賑わった催しとなった。
 生徒諸君の活気に満ちた生き生きとした活動を見るのは久し振りで、ようやく正常の学校生活や学校の行事の生み出す活力に接し、大変うれしかった。
 行事後の生徒諸君の様子を見ていると「槐祭」のような生徒主体の学校行事(勿論校外研修も含めて)がいかに生徒を元気付けるものかを強く実感している。本当に「槐祭」が出来て良かったと思う。この勢いで、二学期も充実した生活を過ごしていこう。
 まさに「槐祭」は、私たちの重要な「ミーム/Meme=文化遺伝子=」(R・ドーキンス 英進化生物学者)としての役割を果たしてくれている。
 ところで、万葉集で山上憶良がこの時期、秋の七草を歌った。一時に咲くのでなく順次に咲いていく、萩、すすき、葛、なでしこ、おみなえし、藤袴、桔梗と愛でている。
 富士山麓の人々はこの時期の雨を登山で賑わった山を洗い清める御山洗いの雨と呼んでいる。日本人らしい感性が窺える表現である。
 この二つの事柄からもわかる様に、自然の変化に感性豊かに対応する日本人の特性は、大切な我々の伝統文化を生み出す力となっているのだろう。ここで「文化」というものを考えてみよう。
 広辞苑によれば文化とは「人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。衣食住をはじめ技術、学問、芸術、道徳、宗教など物心両面にわたる生活形成の様式と内容を含む。(Culture)」とある。
 一人一人の人間にとって「生きる力(活力)」の源となるものを「文化」を通して知ると考えて良いだろう。
 世界中に残されてきた多種多様な文化を「文化遺産」と呼び、人間にとって将来の文化的発展の為に役立ち継承されるべきものとして大切に扱っている。人間が生き生きと生きていく為に「文化」が大きな強い支えとなっているからである。
 心の底から「生きていて良かった。」と思える時、「生きる力」が人間の一人一人の心の内に、強く豊かに沸きあがってくるのである。
 「文化」はその為に大きな役割を果たしている。秋の夜長、虫の音を愛でるのは日本独特の文化であり、そこで日本人は生きているという実感を体験している。
 ここで、大学教育の真髄を具体的に良く言い表している文章を紹介する。
 「社会の価値判断(多くは金銭で測る)から身を剥がし、自然と人間の驚異と美に慄き、言葉の森に分け入る。この世界が極小並びに極大の単位で整然と営まれていることに驚き(自然科学の基本)、あなたが死んでも自然と社会は変わらず進むことを知り(社会科学の基本)、しかしあなたはあなた以外の人に代替できない存在であることの尊厳(人文科学の基本)に触れ、世界の美しさの根源を探る(判断力の基本)。」(藤原辰史「就活廃止論」より)
 そしてこれ等の学びにより、自由な精神の働きを強め、理想に燃える精神の動きを活発にすることで、人は「生きる力」がどこから生まれ活発化するかを理解するようになる。
 大学で身につけることは、「生きる力」を豊かに育む、ふかふかに耕す精神活動と云ってよいだろう。そして、中学高校の学校生活でも同じことと考えている。
 確かな文化の伝承と正しい発展の基盤となる力、私達はこれを「生きる力」と呼んでいるが、その伝承の為に学校生活はある。毎日の生活の基盤となっている「私達の学校文化=伝統=」を大事に育んで行こうではないか。
 自調自考生、どう考える。