「自調自考」を考える 第354号


 四月、卯月。清明、玄鳥至。春の使い「つばめ」が巣をかけるとその家に幸せが訪れると言い伝えがある。玄鳥、乙鳥、天女など呼び名様々。若葉が萌え、花が咲き、鳥が舞い歌う。生命の輝く季節。学校では入学式が挙行される。
 幕張中学三百十二名、高校六十八名。新しい自調自考生の誕生である。
 校庭では輝きを象徴して桜の花満開。

 春暁や一点燈の大伽藍 阿波野青畝 

 そして『万葉集』には桜の咲くのをよろこんで

 春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくし良しも 巻八 尾張連歌 名闕 

 ところで、本学園では、二十一世紀になって以降、全新入学生にノーベル賞作家大江健三郎著『「自分の木」の下で』を入学祝として贈呈しているが、その大江健三郎先生が三月三日に逝去された。体調不良で仕事を控えておられると伝え聞いていたが、実際に逝去の報に接したら、覚悟していたよりもずっと大きな喪失感に見舞われた。大きなショックである。
 最初に感じたのは、大江先生の残された渋谷教育学園の教育に対しての貢献の大きさであり、勇気づけられた力強さである。大江先生が、渋谷教育学園の中高教育の現場に来られたのは、二十一世紀が始まる二〇〇〇年十一月十五日であった。ノーベル賞受賞作家としての講演会に講師として幕張中学高校に来校され、印象深い興味のある講義をなされた。その際校長としてお迎えした私が、大江先生の東大生時代の「五月祭賞」受賞作品「奇妙な仕事」(処女作品)の取材で東京大学新聞の関係者として取材現場にいたことが話題となり、学生時代の話で大変盛り上がったことを記憶している。
 そして翌二〇〇一年十一月十三日、再び来校され、ここでは授業と生徒達の作文を添削してくださった。―大略一ヶ月くらいかかったろうか。指導された学年は、幕張十九期生と渋谷の五期生であった。この影響は実に大きかったようで、この期を中心とした年代で「作家」が輩出している。今春、直木賞作家となった小川哲氏は二十期生、教室で直接添削された石丸彩子(作家・彩瀬まる)氏十九期生は高校生直木賞の受賞作家であり、直木賞候補となって活躍している。尚、渋渋では昨春には二十二期生高野知宙(現・京大生)が京都文学賞を受賞した。
 大江先生は反戦平和と反原発を訴える講義やデモの現場に立ち続けられた。大江健三郎の原点は、俗世の言葉を解せない弱き者を創作してそこに伴走し、希望の灯をともし続けることがいかに困難かを苦悩し続けた所にある。ここに人類にとっての普遍的な理想が存在していることを伝え続けていた活動であったが、これがノーベル賞受賞の中核となった。その大江先生が、自調自考(自己理解・自己決定行動)を中心に据えた自由な渋谷教育学園の教育活動に大変興味を持たれたのはある意味で当然なことだったとも考えている。そしてその結果生まれたのが作品『「自分の木」の下で』―子どもはなぜ学校に行かねばならないか―なのである。
 一九九二年出版の講演集『人生の習慣』で、大江先生の活動は「戦後民主主義という翼に加え自由な読書と想像力というエンジンで高く舞った大江少年は、やがて時代の閉塞状況を粘っこいスタイルでえぐっていく」と評されている。
 フランスの大学入試共通テストに当たるバカロレア(大学入試資格試験)で「作家の役割は人間の偉大さを称えることか」という問題が出されたことがある。ディセルタシオン形式=正→反→合を中心に組み立てる=での正解では、「たしかにそうとも言える(正)」「しかし小説は欠点を持つ人間も描く(反)」と多面的に実例を挙げ論じ、これ等を総合して「作家の役割は人間、社会について事例を通して考えさせることだ(合)」と論文をまとめている。
 多様な考え方が併存し主張しあう現代社会では、このような慎重な論理形式が絶対必要となろう。今回は現代における作家の役割を考えてみた。
 自調自考生、どう考える。