「自調自考」を考える 第379号

三月。弥生。学校はこの時期、四十一期卒業生を送り、新入生を迎える準備に忙しい。
 季節は、春。旧暦では雨水、末候、草木萌動。冬の間に蓄えていた生命の息吹が外に現れはじめる。そしてこの時期の雨を木の芽起こし、催花雨という。春の訪れを告げる緑黄色の花、菜花が目立ちだす。奈良・平安時代の和歌や物語に登場する花は、圧倒的に梅が多く、次いで桜と桃か。『枕草子』には「木の花は濃きも薄きも紅梅」をはじめとして梅が十五回も登場する。

春はあけぼの、やうやう白く
なりゆく山ぎは少しあかりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。
清少納言『枕草子』一段

 春には「暁」と「曙」そして「卒業式」が似合う。
 英米では「学位授与式」を「コメンスメント」(Commencement)(開始)と呼ぶが、まことにこの時期は、新しい世界に飛び出していくことを祝う式典がふさわしい。
 そして、我が国最大最古の歌集『万葉集』巻八、巻十には、野花を見つめ、春の到来をよろこぶ歌が並ぶ。日本人の心の故郷が窺える。
石ばしる垂水の上のさ蕨の
萌え出づる春になりにけるかも
巻八 春雑歌 志貴皇子

ひさかたの天の香具山この夕
霞たなびく春立つらしも
巻十 春雑歌 柿本人麻呂歌集出

 ところで、二十一世紀、人類社会は「人新世」といわれるように、人類自身の活動の発展複雑化によって地球規模の深刻な課題を多発させ、その解決を求められる事態が生じている。地球温暖化、超高齢化、経済格差の拡大、貧困の再生産拡大等々。
 その解決の方策として、議論され実行されつつある、大学での行動が今注目されている。
 きっかけは、昨年十月、大阪・関西万博で世界に向けて発信した宣言「いのち宣言」である。宣言はいのち輝く未来社会の為に人類社会全体がなすべきことを言葉にしたものである。
 生命の尊さ、その可能性を「かんじる」「まもる」「はぐくむ」「つなぐ」「しる」という五つの視点から追求した。そして産官学民による「いのち会議」が、社会の様々な現場から集められた多様な声がもとになって構成されることを求めている。
 この「会議」は、開かれた大学によって実りのあるものになると考えられてきている。細分化された学問を、そのままにして多様化複雑化した社会課題に取り組むのは難しい。学問領域が細分化されすぎて、全体を統合的にとらえる視点、思考が育まれにくい。IT(情報技術)や先端医療の知見を活用し、社会との交流を通じて学問自ら創り変えながら解決案を編み出す必要がある。これを「会議」では「共創」と呼んでいる。理系・文系の研究者が現場の問題を、議論をしながら少しでも良い方向に持って行く。
 「種々の社会の負託に応える公的サービス機関の性格を持つこと」が、これからの大学の重要な役割で、大学以外にこれを実現することは難しいのだ。
 従来の学問体系では対象とされないような分野、そして小さな課題を「会議」を通して確認し、その解決に向かって、これまでの研究・教育体制を見直す作業は簡単なようだが、大変難しい。ほとんどの大学は改革できずに見直していないのが現状である。
 「会議」の目標、内容を学問の対象とするのは、所謂「何が知であるか」の社会的再定義といって良いであろう。これはいってみれば、社会の変革に応じた、大学がその実現を果たすべき、「知」の再定義に外ならない。
 我々は過去、活版印刷、百科事典、電卓等(AIも入るか)で「知の負荷」の外部化を促進させ、「何が知であるか」の社会的再定義を経験してきた。
 大学が社会的に存在を主張出来る為には、大学は常に「正解のない問い」を引き受け考え続けることをやめない必要があると考える。
 自調自考生、どう考える。