「自調自考」を考える 第380号

 弥生。学校は「卒業式」「修了式」を迎え、新学年の準備に入る。季節は春分、初候、雀始巣。
 春分とは、太陽が真東から昇り、真西に沈む日のこと。昼と夜が同じ長さになる春分の時期は、旧暦二十四節気の大きな節目のひとつとされる。

 毎年よ彼岸の入りに寒いのは
  正岡子規

 春分の日を中日に前後三日を含めた七日間が、春のお彼岸である。この間、先祖の霊を供養する仏事が行われる。古来このころに日本では農事始めの神祭があった。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれる通り、次第に過ごし易い季節になる。そしてこの季節『万葉集』には、「桃李の花を詠める歌」が二首。

 春の苑紅にほふ桃の花
  下照る道に出で立つ娘子
 わが園の李の花か庭に降る
  はだれのいまだ残りたるかも
   巻十九 大伴家持

 「異文化共生社会」という現代、私達の日本文化は日本の「風土」のもたらした「日本独特の自然」を受け入れ、楽しむ感性によって育まれたのである。
 今、世界は、進歩史観とポスト・モダン=文化の相対化=が混在し、鬩ぎ合う時代。「未来を生きる」青年達にとって生きにくい時代、夢を持ちにくい時代となっている。進化論の概念でいう「ホロビオント」の時代。こんな時代、古来この日本列島から生み出された「日本の伝統文化」を想起し味わってみることは、とても大切になっていると考える。
 話は変わるが、先日先生方と、学校における先生と生徒、または生徒同士の距離のとり方について議論をした。きっかけは学校教育における、通信教育やAI(人工知能)の影響がどうなるのだろうという問題意識からである。物理的・心理的に適切な距離感を保つことは未成年・成年の教育=学校教育=を考える時、必要となるという議論の流れであった。
 そして、その理由として二つほど挙げられていた。
 一つめは教育の場における「The negotiation of meaning=意味の問いかけ」の重要性である。「自調自考教育」がなされるということは、本人が「問い」を立てて「考える」ことが重要だが、「意味を問いかけ合う」ということも、自調自考教育の手続きとして何よりも重要である。
 二つめは本人にとって、その時興味がなく面白くなくても、我慢して聞いておくと、後々大変役に立つことが必ずあるからで、嫌でも、その気がなくても、「聞いておくことが役立つことがある」ということであった。この問題について、最近、ある大学における試みが公開されたので紹介しよう。
 京都大学の「京大100人論文」というイベントである。このイベントでは、研究者が自らの研究テーマをポスターに書いて展示し、疑問を投げかける。研究者の氏名や所属は表示しない。来場者はポスターに記された「問い」を見て、意見や疑問を付箋に書き込んで貼り付ける。
 例えば、「子どもにしか感じることの出来ない世界はあるのでしょうか」という問い。「自分の専門だけでなく違う方向から見たときにいろんなヒントがあると思う」「自分とは別のことを考えている人がいることを知り面白かった」などの「問い」が「新たな問い」として付箋に書かれていた。こうして集まった研究は百二十件。五日間で千三百人が訪れ、付箋は五千五百枚に上った。
 人生には、答えのある問いと答えのない問いがある。大事なことには答えがないことがある。その際に必要なことは、「いろいろ工夫して問いつづけるしかない」という体験が、実は大変大事なのだ。
 これからの学習は、文系理系の枠を超えて複雑化する社会の課題に取り組まねばならない。なかには答えのない問題もあるだろう。学ぶ過程で、こうした体験は一層貴重なものになってくる。
 二〇二五年、日本は二人のノーベル賞受賞者を出し、世界的に注目されたが、それは、この二人が「答えのなさそうな問い」に取り組み、何十年も粘り強く実験研究をつづけた結果であった。「問い」を立てることは探求をつづけることなのだ。
 自調自考生、どう考える。