「自調自考」を考える 第332号

 二学期が終了する。短期間ではあるが、年の改まる冬期休暇。有益有効な計画を立てて、しっかりとすごしてほしい。
 四季豊かな日本では一年を、二十四節気、七十二候と季節によって肌理細かく分け、その変化を感じとって楽しんでいた。初冬、仲冬、晩冬と冬は三つに分け、今頃を仲冬、冬至初候 乃東生と呼び変化を楽しむ。冬至はまた、一陽来復とも呼ぶ。この日を境に日が長くなってくるところからであるが、実際に寒気が厳しくなり出すので、「冬至冬なか冬はじめ」と云ったりし、この日柚子湯で身体を温め、粥、南瓜、蒟蒻などを食べる習慣がある。

 年くれぬ 笠着て草鞋 はきながら 松尾芭蕉

 ここで「変化」について考えてみよう。「進歩」とどう関係するのかである。
 坂井修一(歌人・情報科学者)によると、「芸術」の世界では「変化」はあっても「進歩」ではないと云う。「芸術はそれ自体、発展することはない。思想が変わり、それとともに表現形式が変わるのである。」パブロ・ピカソ(スペインの画家。二十世紀現代絵画の最高峰、代表作「ゲルニカ」等)の言葉である。
 ラスコーの壁画を見てみると、二万年前のクロマニヨン人が描いた牛や馬、バイソンや山羊は現代人が見てもその躍動感や重量感に圧倒される。圧倒的な人類の芸術遺産である。現代絵画芸術は、この遺産の上で変化しつづけた結実であるが、発展したり進歩したりしたわけではなさそうだ。
 毎回紹介している万葉集の歌を鑑賞しても、千四百年も昔の日本人の個性的であるだけではない個性を超える活力(普遍的力)を感得させる歌ばかりで、今も人々を感動させる。

 淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば
  心もしのに 古思ほゆ   巻三 柿本人麻呂

 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば
  ましてしぬはゆ いづくより
   来たりしものそ 眼交に
    もとな懸りて 安寝しなさぬ  巻五 山上憶良

 韓衣 裾にとりつき 泣く子らを
  置きてそ来ぬや 母なしにして  巻二十 防人歌

 今「リベラルアーツ」の重要性が声高に云われている。リベラルアーツの理念に基づく教養教育とは、人間が独立した自由な人格であるために身につける学芸のことを指す。具体的には語学や歴史、古典を学ぶことを教養を身につけると云うが、これ等を学んで知識を蓄積することを教養があると云うわけではなさそうだ。例えば「歴史をしっかり学ぶ」ことで私達は長い時間のなかで人間社会や人間が大きな流れに乗って進歩発展して来た筋道が理解出来る。
 こうして将来に表われるものを推察する力を身につけると同時に私達は歴史を学ぶことで人間には、変わらないものがあることに気付く。人間の歴史は進歩発展だけでなく変わらなく繰り返されるように見えてくるのであろう。芸術における変化が示すように。こうした気付きを通して、私達は自己を相対化する力を身につけ、偏見や思い込みから解放された成熟した「市民」になる準備が出来ると云えるのであろう。
 こうなることで、情報を収集し、知識を「ひとごと」ととらえず「自分ごと」化し判断する能力を身につけた教養人になる条件が満たされよう。二十一世紀の「リーダーシップ」はここにあると考える。
 自調自考生、どう考える。