「自調自考」を考える 第339号

九月、長月。旧暦七十二候によると白露。秋分の季節に入る。残暑が引いて、本格的な秋となる。
古くは蜻蛉を「あきつ」と呼ぶ。秋の虫という意味で、蜻蛉の季節。そして十月、神無月。寒露。空気が澄み、菊の見頃。この時期、学校は学園祭(槐祭)を迎え賑わうのだが、コロナ禍の下で今年はなんとか実施できた。活動の内容は動画で記録し、緊急事態宣言下参加出来なかった保護者の皆様に御披露することになった。槐祭、今年のテーマは「千葉のガラパゴス」。独創的な企画に挑戦する文化祭として五つの視点を明示して、計画実行された。「多様な視点」「もう一度見たい」「渋幕らしい」「おもてなし」そして「昨年を超える」。若者達にとって、いよいよ複雑で未来の見通しのつきにくい時代にあって、今何をしたらよいのか、苦吟し突破口を見出そうとする気持ちが窺える。二千数百年前の哲学者は、「大きくかけ離れているものの中にさえ、類似を見てとるのが、物事を的確につかむ人の本領なのだ」(『弁論術』アリストテレス)と云う。これから歴史を知り、リベラル・アーツを学ぶことの重要さがいよいよ増す。
ところでこの夏、延期された東京オリンピック、パラリンピックが開催された。開催についてこれほど事前に非難にさらされたことはなかったであろう。それについてあれこれ云うつもりはないが、感動した心を伝えることは若者達に意味があるというのが私の考えである。今回特筆すべきことはパラリンピックの大成功である。
人間の素晴らしさを謳い上げ、能力の極限を求め努力することを顕彰するオリンピックとは多少異なり「失ったものを数えるのではなく、持っているものを最大限に発展させよう」(グッドマン博士、英医師)という哲学。そしてその努力を顕彰するパラリンピックは、これからの人生を送る若者達にとっては、大変なショックと感動を与えてくれるであろう。幸い本校では、希望する生徒たちに充分に感染対策をしてパラリンピックに見学参加する機会を得られたことは得難い経験であった。まことに
有 朋自遠方来  不亦楽乎。(『論語』学而)
である。
ところで、若者達が未来について考える時、人類社会そして普遍的な課題とされるSDGsがある。
二〇一五年国連サミットに於て全会一致で採択された目標で、十七の項目を挙げ、「誰もとり残さない(Leave no one behind)」を標語として、二〇三〇年を達成年度と定めて活動している。「地球の未来は誰が変えるのでなくキミが変える」とした「持続可能な開発計画」実現の為の活動である。  近年この活動実現に大きな影響を及ぼすと考えられる言葉が浮上して来ている。「Empathy」である。今年度、秋から開始されるユネスコ等の国連関連機関のテーマに「Empathy計画」とか、「Empathy」が多く採用されている。
「Empathy」は「他者の感情や経験などを理解する能力」のこと。つまり「持続可能な開発計画」を世界中の人が共同で実現に努力する際に必須の力と云えよう。同じような言葉に「Sympathy」がある。「誰かをかわいそうだと思う感情や友情」という意味で、この言葉はアダム・スミスが自由経済成立の条件として挙げた「合意」という意味で使われている。前者は意見が違い感情が伴わない相手であっても、その立場に立って考えられる「能力」を指すが、後者は自然とわき出る感情を意味している。
「Empathy」は「Sympathy」とちょっと違って、訓練で身につけられる「能力」であると云う。
自調自考生、このことをどう考える。