「自調自考」を考える 第343号

 三月、弥生。旧暦二十四節気、七十二候によるとこの時期「雨水」と呼ばれ、季節は農耕の準備をはじめる目安とされた。雪が雨に変わり、大地は雪解けの水に潤される。雪汁、雪消の水とも云われる。草木萌え動く、末候。ビタミンCや鉄分、カルシウム豊富な菜花が春の訪れを告げる。Commencement 開始。英米諸国の大学の学位授与式を意味することから卒業式の意味で使われているが、まさにこの時期は、新しい世界へ飛び立つことを祝う式典がふさわしい。
 万葉集巻八は春の雑歌からはじまる。暖かな日射しに心もまた動き出すように古の人は自然の生き生きとした姿に感動して歌を詠んだ。万葉集で秀歌として名高い志貴皇子の「懽の御歌」は前回紹介しているので、今回は尾張連。

 うちなびく春来るらし山の際の遠き木末の咲き行く見れば
 ところで、新型コロナウイルス流行下、生徒諸君は既に二年近くにわたって、不自由な学校生活を余儀なくされてきた。教師や友人との関わりは成長する上で欠かせない。自調自考することも、自分をよく知り、自分を考えるにも欠かせない。しかしコロナ下では、当然のことながら、そうした交流の機会が減ってこよう。
 とても心配しているが、今回第六十七回青少年読書感想文全国コンクールの入賞作品の中に、こうした心配を打ち消し乗り越えようとしている作品を見付け「ほっ」とした。自分は何の為に生きているのかという根源的な問いを自分に投げかけ、本を読みながら答えを出す経過が浮かび上がってくる作品である。
 課題図書『牧野富太郎【日本植物学の父】』(汐文社)を読み、一つのことに打ち込む生き方にひかれた入賞者広瀬健伸さんは、牧野が植物研究に没頭するあまり、厳しい暮らしを強いられた家族の苦労を思いやりながらも、牧野の情熱が「多くの人に胸躍る知識と心の豊かさをもたらした」と考え、「僕もいつか、自分の『好き』を誰かのために役立てられることがあるだろうか。そうできたらいいと思う。」と結んでいる。
 本との出合いは、先生や友人との出会いと同じで、多くの人が本との出合いで自分を見つけ、自分の生き方を見つけ出している。今迄のように、そして今迄以上に現代の若者達には読書が大切である。
 ここで「自分の好きが誰かの為に役立つ」という文章について「誰かの役に立つ」ということについて考えてみよう。
 約一万年前とされる人類の「定住革命」以来、人類社会は共同生活を必要不可欠なものとした。そこで「共同生活」「社会」を形成し、維持していく為に、必要な資質として「利他愛」が強く求められるようになる。人類史上大きな働きをしてきた「世界宗教」と云われるものは他者の苦痛への共感を通じた静かな「利他愛」とでも云うべきものと云える。
 キリスト教であれば、イエス・キリストの十字架の死を「人間原罪を背負った死」に昇華させたことであり、仏教であれば、その教えの本質は「一切の生きとし生きるものは幸せであれ」という言葉に要約出来よう。(『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』寺島実郎著 岩波書店)
 人は誰の役にも立たない、社会にとって自分の仕事は無意味だと自覚しながら働き続けることは大変難しい。コロナ禍で浮かび上がったエッセンシャルワーク(必要不可欠な仕事)は見守り声をかけ世話し寄り添う他者を思いやる仕事群である。デヴィッド・グレーバー(文化人類学者)は労働とは本来「生産」ではなく「ケア」だとも云っている。自分のやりたいことと社会との折り合いをつけるとは…
 自調自考生諸君よ。

時間よ 止まれ